日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
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カサンドラに花束を 〜「モヤモヤ」を抱えて生きる女性たちの緩やかな午後〜
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    武藤百合

     

    日本臨床発達心理士会滋賀支部・支部長

    博士(京都大学人間・環境学)/臨床発達心理士/公認心理師/臨床心理士

     

     

    「先生……私、カサンドラ症候群、なんでしょうか。ネットで検索したら、ピッタリ当てはまっていたんですけど」―心理カウンセラーの仕事をしていると、たまに「カサンドラ症候群」のことがクライエント(来談者)さんの方から話題に上ることがある。カサンドラ症候群は正式な医学用語ではなく、心身の消耗(心と体が疲弊している状態)、うつ状態、「自分なんてダメな人間だ」という自尊心の低下、無気力など、周囲と感情の交流が難しい自閉症スペクトラムのパートナーがしばしば陥りやすい状態を指すものとして使われ始めた概念である。具体的には、パートナーとの関係性において、自分が喜んでいても一緒に喜んでもらえず、自分が助けて欲しいと訴えても汲み取ってもらうことが難しいような毎日を過ごすうちに、心身ともに疲れ、「何を言ってもダメだ」と気力を失い、自尊心すら低下していくような状態である。

     

    正式な医学用語ではないので、勿論診断というものはなく、冒頭のような質問を受けても断定的に「そうですね」とは言えず、「そうかもしれませんね……」という表現に留めることが多い。ただ、パートナー(夫や彼氏)との関係に違和感を感じる、気持ちのやり取りができにくい、という状況が背景にあって、心に「モヤモヤ」を抱え続け、気分が晴れない女性たちは、「カサンドラ症候群」という言葉に出会い、自らの現状を重ねることで、長年抱え続けてきた「モヤモヤ」に、「私の経験はそういうことだったのか!」と明確な言葉で輪郭を与えることができ、「スッキリ」した気分を取り戻せることがある。そのような、いったん「スッキリ」する経験は、その後の段階(パートナーとの今後をどうしていくか、どうしていきたいのか、考え、行動する段階)に必要なプロセスであり、その意味で心理カウセラーを生業とする筆者にとっては、「カサンドラ症候群」という言葉が、時には本人ですら気づきにくい問題を浮き彫りにしてくれる、とても大切な概念であると感じている。

     

    「カサンドラのティータイム」はまさしく、タイプは異なるものの共感性に課題がある男性たち、しかし、当人たちはその事におそらく無自覚であり、社会生活ではうまく立ち回れている男性たちとの関わりから、心のどこかに「モヤモヤ」を抱え続ける「カサンドラ」たちのお話である。「カサンドラ」たちは、「やり場のない感情」を自分の中に押し込めてしまう場合が多いが、その「やり場のない感情」とは、何かがおかしいと声をあげても、誰にも届かない孤独感であるとも言える。相手が社会的に信頼されている人物であれば、尚更その傾向は強くなり、立場が弱い方が、二人の関係性の中で何が起こっているのかを誰にも理解されず、晴れない「モヤモヤ」を抱え続けながら日々を生き抜くことになる。特に「カサンドラ」が受けやすい(「カサンドラのティータイム」本文中に何度も出てくる)「モラルハラスメント」は見えない暴力である。その見えない暴力を、受けた側はそのこころの傷を人にわかってもらうことすら難しい。また、暴力を受けた当人ですら、それが見えない暴力=「モラルハラスメント」であったことに、かなり時間が経ってから気づく場合もある。

     

    主人公の一人、友梨奈はお酒に酔って知り合って間もない社会学者・深瀬奏と一晩を過ごしてしまい、その後ストーキングの疑いをかけられ、スタイリストになる夢を断たれてしまう。この辺りは読み進めていて、心がチクチクと痛む感覚を受けた。友梨奈の気持ちを、誰も聞こうとしなかったのか。「それって品があるってことよ」と友梨奈を評価していた菱田さん(スタイリストで友梨奈の上司)は、友梨奈が深瀬をストーキングしていたと本当に信じてしまっていたのか。菱田さんに強く憧れ、美容師の仕事をしながら努力に努力を重ねて上京し、誠実にアシスタントとして働いていた友梨奈は、夢破れて東京を去ることになる。そんな友梨奈の心には、どこか凍てついた部分があるのかもしれない。もう一人の主人公である未知の、友梨奈に対する職場で出会った最初の印象は「くらい感じ」であった。

     

    未知は未知で、過去の出来事を漫画にしてS N Sにあげたことで、パートナーの彰吾からかなり強い言葉でなじられ、心に深い傷を負ってしまう。友梨奈は、駐車場で泣いていた未知のことが放っておけない。しかし思慮深い友梨奈は決して未知の問題に土足で踏み込むようなことはせず、慎重に未知の反応を探りながら、未知が受けているのは「モラルハラスメント=精神的な暴力」ではないかと、未知の彰吾に関する話から、友梨奈が受けた印象を丁寧に、未知の様子を伺いながら伝えていく。友梨奈と未知は、特に親しい友人というわけではなく、職場(精肉店)で偶然出会い、共に働く「同僚」である。この距離感がまた絶妙で、お互いにタイプが異なる「モラルハラスメント」を受けた「カサンドラ」同士であるが、過度に相手に立ち入り、同情し合うことはない。友梨奈は未知に対して、かなり客観的な視点を保ちながら付き合っているし、未知は未知で、友梨奈の過去を知る由もなく、素直に友梨奈の差し出した専門の本を読み、共感したり、考えを巡らせたりしている。

     

    ラストシーンのティータイム場面で、未知は友梨奈と山久さん(未知と友梨奈のもう一人の同僚で、夫との関係は良く、「モヤモヤ」はない)に対し、自分なりに出した「結論(彰吾のそばにいたい)」を語る。「モラルハラスメント」の被害者が、加害者から逃げることはそう容易くできるものではないだろうが、未知もその例にもれず、まだ彰吾との関係に希望を抱いている様子である。その未知に対して、友梨奈は不安を覚えつつも心打たれるものがあり、菱田さんに自分の「思い」を話しておけばよかった、と自らの気持ちに気づかされる。個人的には、この辺りの描写が非常に圧巻で、胸に迫るものがあった。「モラルハラスメント」を受けて「カサンドラ」になってしまったから、相手が自己愛型人格障害かもしれないから、離れればそれで相手との関係が終わる……事態はそう単純ではない。自己愛型人格障害かもしれない人物(「カサンドラのティータイム」本文中でも言及されているが、当人が医師の診断を受けていないので、ここでは「かもしれない人物」で留めるべきであろう)が、ストレスフルな状況(彰吾の場合は小説家として、単行本の刊行を目指して努力する日々)から脱した時に健康な自己愛を取り戻す場合も十分にあるだろうし、親密な他者との関わりの中で、健康な自己愛を育んでいくことも勿論あると思われる。したがって、未知の決意は、あながち見当はずれとは言えないかもしれない。果たして、未知が彰吾の中に見出した「きれいなもの」とは一体何なのか。おそらく、ティータイムで一緒に緩やかな時間を過ごし、未知の決意に耳を傾けていた友梨奈や山久さんにも、未知が見出した彰吾の中の「きれいなもの」が具体的に何なのかは、わからなかっただろう。ただ一つ言えるのは、人と人との「縁」は、「モラルハラスメント」を受けたから切れる、という類の単純なものではない、ということかもしれない。

     

    一方で、自分の身に起こったことが「モラルハラスメント」であったと認めつつ、なおも相手と一緒にい続けることには様々なリスクが伴う。敢えて心理カウンセラーとしてその最たるリスクを挙げるとすれば、「共依存」(アルコール依存症などの問題を抱える相手の世話をすることで、自分の有用性を確認するという、一見うまく行っているようだがお互いの成長を妨げてしまう関係)という言葉が浮かんでくる。その意味で、山久さんが彰吾のもとを離れないと宣言した未知に語った「自分を大事に」という言葉が、実にいい味を出していると、筆者には思われた。そう、「自分を大事に」……こころの闇を抱えている可能性のある相手と関わるときは、この言葉を一番心に留めておく必要がある。人から本当の意味で尊重され、大切にされた経験が乏しい人間が、いつしかパートナーを尊重しなくなり、暴力で抑えつけようとしてしまう……そんな「負の連鎖」を、心理カウンセラーとしての筆者は数多く経験してきた。そのような中で、被害を受けた側が相手と関わり続ける上では、誰よりもまずは「自分を大事に」扱うこと、自分の限界を知って無理をしないこと、自分の気持ちを大事にしてそれを誰かに伝えること……この3点が、とても大切であると思う。

     

    そして勿論、温かいお茶を。美味しいカレーやチャイを。自分の五感を楽しませる時間を、特に「モラルハラスメント」を受け、心に「モヤモヤ」を抱え続ける女性たちには、大切にして欲しい。言葉の暴力を受けて疲れた心と体に、温かい飲みものと、心からホッとできる時間を。多くの「カサンドラ」たちに必要なのは、このような心からほっこりできる「ティータイム」であると思う。勿論、自分に降りかかった出来事の意味をじっくり考え、心の癒しを得るために、専門的なカウンセリングを受けることも時には必要だろう。ストレスが高じて不眠や食欲不振が出て来れば、医療受診も必要だろう。しかしその前に、安心できる仲間と共にリラックスできる緩やかな時間を、どうか大切にして欲しい。多くの「カサンドラ」たちは目に見えない傷を沢山、負っている。その原因は、「勝ち負け」にこだわるパートナーの、意識的には全く悪意のない、けれども無意識的に相手を貶める言葉であったりする。日常生活で知らず知らずのうちに緊張して、気を使い過ぎてしまっている「カサンドラ」たちが、ほっこりできる「ティータイム」を大切にしながら、仲間同士で語り合い、元気と笑顔を取り戻すことができますように。未知も友梨奈も、自分を過度に責めてしまい、人生に対して失望してしまわずに、勇気を持って問題と対峙していけますように。この願いはそのまま、私が心理カウンセラーとしてかつて出会ってきた「カサンドラ」たち、そしてこれからも出会うであろう沢山の「カサンドラ」たちへの、希望と祈りであるとも言えるかもしれない。

     

    世代も違い、立場も異なる三人の女性たちが、お互いを気遣い適度な距離を保ちながら、労わりあい、思いやり合うラストシーンの「ティータイム」が、私には何より愛おしく、素敵な時間であると思われた。女性たちがこうして緩やかな時間を過ごし、互いの思いを語り合う時間を持つことができれば、ささくれだった世の中は随分と潤いに満ちたものになるかもしれない。そして、私のような心理カウンセラーのもとに駆け込む女性たちも、幾分か減っていくかもしれない。「カサンドラのティータイム」は、お互いがお互いの「感性」や「意志」を尊重する時間。そして、再び世界と対峙していくための、大切な充電の時間。心理カウンセラーとしての私は、世の「カサンドラ」の女性たちが、このような豊かで、ある意味贅沢かもしれない素敵な「ティータイム」を過ごせることを、願わずにはいられない。そしてその場所に、人から理解されにくい傷つきや悲しみを抱え続けてきた「カサンドラ」たちの気持ちを、明るく照らし、優しく潤わせてくれるような「花束」があれば、なお素敵であるかもしれない。

     

    最後に、「カサンドラ」という、ともすれば光が当たらない(=当たりにくい)女性たちの思いに焦点を当て、彼女たちの心のひだを丁寧に、美しい言葉で描写してくださった櫻木みわ様に、心からの感謝と拍手を送ります。2022年のB I W A K O B I E N N A L E「O R I G I N〜起源〜」作品の一部が沖島で展示され、その開催期間中に沖島で櫻木様とお出会いしたことをきっかけに書評を書かせていただきましたが、私自身とても学ぶことが多く、改めて「モラルハラスメント」被害者の方々に心理カウンセラーとしての自分ができることは何なのか、深く考えさせられました。櫻木様とのお出会い自体が、未知と友梨奈の出会いのように、何か不思議なご縁を感じざるを得ない出来事でした。今後のご活躍を心から祈念いたします。

     

     

    参考文献

    武藤百合「エゴグラムで知る「わたし」と「あなた」〜五弁の花を咲かせよう〜」ヴォーリズ学園心理学講演資料、2022年

    谷本惠美「カウンセラーが語るモラルハラスメント 人生を自分の手に取り戻すためにできること」晶文社、2012年

    福山れい「モラハラ夫の精神的支配から抜け出す方法」日本能率協会マネジメントセンター、2022年

    マリー・フランス・イルゴイエンヌ/高野優訳「モラル・ハラスメント 人を傷つけずにいられない」紀伊国屋書店、1999年

     

    | 会員エッセイ | 00:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    滋賀大学教職大学院ダイバーシティ教育力開発コースのご紹介
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       このブログをご覧になっている方には、多様な教育的ニーズへの対応やご自身の特別支援教育の専門性向上について関心のある方も少なくないと思います。

       

       今回は、滋賀大学教職大学院に設置されているダイバーシティ教育力開発コースについてご紹介します。

       

       滋賀大学教職大学院は平成29年度にスタートし、現在までに6期の大学院生を迎えています。現在4つのコースがあり、令和3年度より学部卒学生・現職教員学生を対象に、子どもたちの多様なニーズに応じて発達を支援できる専門的力量を養うダイバーシティ教育力開発コースが開設されました。

       

       子どもの障害、いじめ・不登校、外国にルーツのある児童生徒、幼小連携など多様なニーズを抱える子どもの育ちを広い視野から的確に捉えて、発達や心の健康を支える専門性を備えた教員の養成をめざしており、特色のある授業が用意されています。

       

       実習にも力を入れており、入学後の最初の実習である「ダイバーシティ教育基本実習」では、幼稚園や小学校(通常の学級・特別支援学級)で特別なニーズをもつ子どもたちの参与観察を行い、一人ひとりの課題を理解することを学びます。

       

       1年次に取り組む「フィールドワーク実習」では、外国人児童生徒日本語初期指導教室、少年鑑別所、障害者支援施設等、学校外の子どもの教育や生活に関連する施設を訪れ、多様な教育的ニーズをもつ子どもたちへの教育的対応を知り、学校とのつながりや連携について学びます。

       

       心理検査に関する深い知識と理解をベースにしたアセスメント力を育成することも重視しており、心理アセスメントに関する授業のほか、2年次には「心理アセスメント実習」が設けられています。この実習では、附属特別支援学校の児童生徒に対する発達検査場面に同席・カンファレンスに参加します。また、附属学校園で実施されている学習・発達支援室の活動に帯同し、通常の学級における特別な支援を要する子どもの具体的な対応や連携のあり方について学びます。

       

       特別支援教育を受ける子どもの増加への対応や、インクルーシブ教育システムの理念の構築による共生社会の実現のため、特別支援教育を担う教師の確保や専門性の更なる向上が求められています。高度な専門性を備えた教員を目指す意欲のある方に入学していただけたらと思います。

       

       ぜひ、滋賀大学教職大学院のホームページをご覧ください。

       

       滋賀大学教職大学院(大学院教育学研究科高度教職実践専攻)
       https://www.edu.shiga-u.ac.jp/kyoshoku/

       

       

       滋賀大学教職大学院 山川直孝

       

      | 会員エッセイ | 06:04 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      とある大学生の行き当たりばったりドタバタユラユラ生活in INDONESIA
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        はじめまして。

         

         みなさんがこの雑記を読まれる頃には会社員になっている私ですが、今日(3/31)はギリギリ大学生です。「社会的責任」という言葉がその辺から私の様子をこっそり伺っている気配を感じつつ、今日は全力で見て見ぬふりをすると決めています。

         

         このたびは、以前私が日本語パートナーズという事業で半年暮していたインドネシアでの生活の、あることあることを書き記そうかと思います。私は現地の高校に派遣され、その学校で行われる日本語の授業にアシスタントとして入り、インドネシア人の日本語の先生と一緒に授業をしたり、授業内外で日本文化や日本語の紹介をしたりしていました。

         

         なお、ここに書かれている内容はあくまでも、私個人の経験と意見に過ぎないことをご理解いただいた上でお読みいただけましたら幸いです。

         

        【怒ってはいけない】

         「インドネシアでは、怒ってはいけません」と日本語の先生から言われていた私。確かに、学校で噴火して怒りの感情を露わにしている人を見たことはほとんどありませんでした。ある日、先生とごはんに行くと、食事代を先生が持つとおっしゃいます。「いやいや、それはダメです」と少し語気を強めたところ、先生は「怒ってはいけません!」とピシャリ。声色より何より、先生の目力におののいたのでした。怒ったらあかんのとちゃうんかいっ!!

         大勢の人の前で誰かの間違いを指摘することは、自尊心を傷つけるというような理由から「怒ってはいけない」のだそうです。

         厳密には「怒る」と「叱る」は異なるものなのでしょうが、小学生の時、クラスの全員の前で立たされ受けた説教は苦い思い出です(笑)

         

        【なんてこった!!】

         体調不良の日の話。あまりに体がだるいので、アパートに引きこもって食料調達に頭を悩ませておりました。すると、私の不調を知る先生からメッセージが。

        「今、アパートにいますか?」

        「はい、います。」

        「私は今、アパートの下にいます。」

        「私のアパートですか?」

        「はい、渡したいものがあります。」

        「すぐ行きます。」

         私は体調不調で情緒不安定、何の前触れもない訪問で訳が分からず少々イラつきながら外に出るため着替えたのでした。そんなこととはつゆ知らず、先生は心配そうに私にできたての鶏肉料理や野菜炒め、そしてご飯を手渡し、「この後友達と用事があるので」と言って、早々に大通りの方へ歩いていかれました。部屋へ戻り、ゆっくり思い返し、はたと自分の器の小ささに気づいたのでした。

         

        【約束】

         「10:00に集合です。ですが、10:00には誰も来ないので、遅れてきてください。」と生徒から言われました。「それ、約束する意味あります?」などと思いながら、必死にどうやって遅刻をするか考えました。最長60分かかるから、9:00出発じゃあまり遅刻できないなぁ……。そもそもみんな何分くらい遅れてくるんだ……、5分?10分?30分?

         結局、15分くらい遅れる計算で出たところ、残念ながら5分だけしか遅刻できませんでした。ですが、数名は既に到着していました。来てるやんっ! そして、来るとされていた最後の1人から「やっぱり行けない」と連絡を受けたとき、約束の時間から2時間は経過しておりました。それまで我々は、おしゃべりに興じたのでした。

         「いや、来られないなら、もっと早く連絡しろよ!!」となぜか誰も言わないんですね〜。今でも不思議でなりません。

        まだまだ書きたいことはありますが、そろそろお暇しようと思います。また機会がございましたら、現地の生活において言語面でズッコケたこと、現地で出会ったイスラム教徒の友だちとのエピソードなどを紹介させていただきます。

         最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

         

        丹羽桃子 

        佛教大学(通信教育課程)教育学部教育学科4回生(2021年度時点)

         

         

         

        | 地域から | 09:37 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        保育士のつぶやき―小学校との接続?
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          こんにちは!

            還暦で初めて保育士になって、まもなく三年目を迎えます。担当するクラスも、子どもたちの年齢と共に2歳児、3歳児、4歳児と上がってきています。ただ、一年目から二年目で異動し、職場はこども園から保育所に変わりました。

           

             さて、私が入職する直前に新・保育所保育指針が施行され、特に、小学校との接続に改訂の重点が置かれていることに、それがどれくらいの熱量のものかと気になっておりました。

             先日、保育士キャリアアップ研修【幼児教育】を受講しました。最近は、保育士の力量と待遇をアップするためにこのような研修システムがあるようです。研修では、保育所保育指針をもとに【幼児教育とはなにか】【なぜ必要か】【幼児期における学びとは何か】を再確認したあと、【小学校との接続】についても説明を受けました。

            幼児期は遊びが学びである、遊びを通して総合的に学習する、遊びは幼児が自発的・主体的におこなうものである、などなど、この辺りは40年前の幼児教育原理と変わりません。40年前と変わっていたことは、その話のいちいちに、「小学校での学力に繋がる」という考えがついて回ることです。そこが、新・保育所保育指針の「肝」のひとつなのでしょう。

             子どもはもちろん小学生になります。しかし、幼児期というのは小学校の準備期間としてあるのでしょうか?   

          私はそのようには考えてはいません。

           

             たとえば、今年の夏の私のクラスでは、ヤマモモの実でジュースを作りました。その活動を通して子どもが何を体験したか。

             最初はグニュグニュしたヤマモモの実を触ることに抵抗があった子どもも、保育士が楽しそうにグニュグニュすると紫色の液体ができたことに目を輝かせ、ヤマモモを手で潰すことに夢中になり、一時間近くも遊びが続きました。隣の公園で7月になったらポトポト落ちてくるヤマモモに親しみを覚えただろうし、その実の香りも感触も味わっただろうし、ペットボトルに水と一緒に移してその重さを実感し、注ぐときの絶妙な手先の運動も獲得しただろうし、ヤマモモの個数も数えてるし、それは、それは、たくさんのことを体験しています。

            私は、ただただ、私が楽しそうに行う遊びを私への信頼からやってみようとしてくれたことや、ヤマモモに親しみを感じてくれてることを評価しました。また、7月になるとヤマモモの実が落ちる公園を子どもたちがもっと好きになってくれ、そして身の回りに「好き」が増えることは生きる喜びになるだろうと考えたりしていました。さまざまな活動を通して、子どもらが生まれてきたこの世界を好きになり信頼し、毎日がわくわく楽しいものだという経験ができるよう、私は願っています。

           

            しかし、キャリアアップ研修の講師は、それらすべてが小学校の学力の基礎としてある、というのです。

            体験の多さは、小学校でも中学校でも学力の基礎とはなるでしょう。しかし、それは結果であり、小学校に接続させるために幼児期の体験があるわけではない、というのが私の考えです。

             幼児期の遊びが全て小学校の学力に繋がるためにあるという考えにはかなりの違和感を覚えます。乳児期なら月齢がくればハイハイしたり、立って歩けるようになりますが、それらの運動機能の発達は小学校に一人で歩いて登校するためにある、と捉えることと同じくらいの違和感です。

             発達の賜として7歳で小学校に一人で歩いて通えるようになる子どもが多いから、小学校への就学や学習の形態があるわけで、それを実現するために幼児期があるわけではないと思うのです。

            屁理屈に聞こえるかもしれませんが、キャリアアップ研修を受けて、就学前、幼児期、保育を大切にしてきた「保育所」という名の現場にまで、文科省の毒牙が迫ってきたのかな、とふと考えたのでした。

           

          匿名保育士

           

          | 会員エッセイ | 15:02 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          <私の発達臨床> コミュニケーション・言語発達支援・・・マカトン法との出合い
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             マカトン法は、英国で開発された言語指導法です。ことばの発達が遅い、あるいは音声言語での意思表示が難しいといった人を対象に、マカトンサインやマカトンシンボルを使ってコミュニケーションをし、その中で言語発達をも促進していこうとする方法です。日本に取り入れられて、1989年に日本マカトン協会が設立されています。

             私がこのマカトン法に出合ったのは、県内の児童相談所の心理判定員をしていたときです。私が児童相談所に就職した頃は、大津市をはじめ、いくつかの市には発達相談をする心理職がおられ、療育教室も始まっていました。しかし、他の市町村には常勤の心理職がまだいなくて、乳幼児健診の事後指導といって、児童相談所の児童福祉司と心理判定員が各市町村を巡回相談に回ったり、療育にもスタッフとして参加していました。また、児童相談所で障害児の療育(グループ指導)も行っていました。

             その後、各地域に療育教室ができ、児童相談所で療育をすることはなくなりましたが、発達の遅れや自閉症に伴うことばの相談、構音障害など、個別に言語指導を希望されるケースは多くありましたので、その担当を私がしていました。県内にはまだ学校にことばの教室が少なかった頃です。

             ある時、児童相談所に通っていた自閉症の子どものお母さんが、マカトン法というのがあると聞いたが、うちの子にどうだろうと言ってこられました。まだ、私はマカトン法について知らなかったのですが、ちょうど時を同じくして、日本聴能言語学会(現日本コミュニケーション障害学会)の当時私も委員であった特別部会で、マカトン協会から講師を招聘してワークショップをすることになりました。私もマカトン法について勉強し、サインの実技指導も受けることができました。まさにタイムリーな縁でした。

             早速、習ってきたマカトンサインをその子に指導し始めました。実は、その子は発語がなく、自閉症とともに知的障害も重度で、課題に応じてずっと着席していることもなかなかできない状態でした。最初は、サインの習得が難しいのではないかと思っていたのですが、やってみると、まず私のするサインを見て、そのサインを正確にはできずとも、模倣するようになりました。その後練習したものの絵を見ると、命名するように自分からサインで表現するようになりました。

             指導中の絵だけでなく、会話の中で特定のサインに限りますが、自発的にサインで私に訴えてくるようにもなりました。たとえば、学習中に<おやつ><家>のサインを連続してするので、「そうそう、おやつは家に帰ってからな」とサインをつけて返事をすると、納得してまた学習を続けます。以前のように、突然立って部屋を出ることはなくなりました。待合室では、私の顔を見て<木><ダメ>とサインしながら観葉植物の葉っぱをちぎりたいのを我慢していました。

             その後、いろいろな子どもたちや大人にもマカトンを使ってきました。
             *重度の知的障害がある
             *理解はよいけれども発語が難しい
             *話すようになったが発音不明瞭で通じにくい
             *自閉症で発語がなく、やり取りが難しい
             *ダウン症とわかった1歳児
             *片マヒがあって発語も難しいけれど、片手でサインできる 等々

             習得度やスピードはそれぞれですが、どの子もコミュニケーションがとりやすくなりました。中には、音声言語を習得してサインは不要になった子も多くいます。いずれことばが出てくるタイプの子どもでも、前言語期にサインを使うことには、伝わる喜び・やりとりの楽しさを経験し、コミュニケーションの意欲を育てるという意義があると思います。他にも、サイン模倣が上手になって音声模倣も出てきたり、ことばの理解が促されることもあります。

             マカトン法に魅力を感じ、指導事例を増やす中で、日本マカトン協会から英国のマカトン本部の講習会に派遣していただき、日本でのワークショップの講師資格も得ることができました。今は普及に努めています。

             マカトン法は言語指導法ではありますが、対象となる人にサインやシンボルを一方的に教えるというよりは、周囲の人がサインやシンボルを使ってその人と楽しくコミュニケーションすることが大切です。周囲の人が使ってこそのコミュニケーション指導であり、言語・コミュニケーション指導は、指導者と対象者の共同作業であることをマカトン法から学びました。

             児童相談所を退職してからも、マカトン法が有効と認めてくださった学校や療育教室で指導の機会をいただいたり、個別に指導をすることもあり、マカトン法は私の発達臨床におけるライフワークとなっています。

             

            奈良大学社会学部心理学科 礒部美也子
            (日本マカトン協会公認講師)

             

            クリックで内容詳細紹介ページへ

             

            | 会員エッセイ | 11:21 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            一斉休校下の放課後デイサービス
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               今回の突然の休校措置により、大わらわしている大人の一人です。現在、3ヶ所の放課後等デイサービスにかかわらせてもらっている立場から、限定的ではありますが、現場の様子をお伝えできれば…と思います。学童同様、非常に混乱しているにもかかわらず、メディアには殆ど取り上げられないので…

               

               3月13日現在、自閉症スペクトラムの子どもたちは、大人が思っていたよりも大きな混乱はありません。一方、スタッフはというと、2月27日(木)のケア終了後に突然発表された休校措置に、28日(金)だけで対応できるわけもなく、土日返上でした。3月に入ってからは、長期休暇同様のシフトで、日々何とかこなしている状態です。「1日を無事に終えた」とひと息つく間もなく、厚労省から各自治体に要請されたアンケートに「明日の午前中までに答えよ」…放デイは、「障害」のあるお子さんを預かっています。安全面には常に気を張っています。もともとこの時期は、衛生面にも特段気を配っています。高熱が出ると、てんかん発作が起こる子、しんどくても、「しんどい」と言えない子…これ以上、イレギュラーな事態が起きた場合、大人の側に対応できる「余力」がないように感じます。

               

               そのような今、臨床発達心理士に一体何ができるのか…食事と睡眠を普段以上にしっかりととって、3連休に少しでもリフレッシュできるように声をかける…プログラムを提供することで、スタッフの負担を減らす…しかし、「専門家」としてよりも、たとえ1時間でも入る、代わりに掃除をすることで、スタッフに少しでも休憩をとってもらうことのほうが必要だったりします。

               

               中学校1年間・小学校4年間、特別支援学級の常勤講師として勤めた経験があるのですが、日本の学校文化は3月 終わりです。心理出身の人間として、「終結」に心血を注いだものです。きちんと終わって、初めて始められる…今回、子どもたちが「区切り」をつけられないまま新年度を迎えた際、G.W.明けや夏休み明けとはまた異なる「しんどさ」が4月に起こることが懸念されます。杞憂に終わればいいですが、予定通りに新学期が始まったとしても、心身共に疲れ果てた大人にその対応ができるのか…万が一、予定通りに新学期が始まらなかった場合には、大人はもたないとも思います。そうなった時に、臨床発達心理士がいかに対応するのか…「用心棒」として機能すべく、「余力」を残しておかねばなりません。もちろん、少しでも「区切り」をつけられるようなプログラムを提供しようとは考えています。

               

                                    下村宏美(臨床発達心理士)

               

              | - | 05:15 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              学校のことを考える/語り合う場「みんなの学校研究会」
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                 2007年6月、発達に凸凹のある子ども、気になる子どもと、その保護者の共育ち、分かち合いの場として「みんなあつまれ」を開始しました。当初は就学前までの乳幼児を対象にしていましたが、きょうだいがいたり、また小学校に入ってから新たな悩みをかかえる保護者も多く、現在では何歳でも希望があれば参加してもらうことにしています。12年以上が経過し、子どもたちが小中学生、高校生と成長していく中で、保護者からは就学や進学についての不安や悩み、困りごとがたびたび話題に挙がるようになりました。また、私自身が特別支援教育推進委員として、特別支援学校や特別支援学級進学に関わる相談(就学相談)に2年間対応した経験から、学校現場だけでは解決が難しい事例に直面することや、担任と管理職の間にある認識の隔たりに愕然とすることもありました。
                こうした経緯から、2019年4月、特別な配慮を必要とする子どもたちの教育を保障するため、保護者、教職員、支援者、それぞれの立場から現状の課題を明らかにしつつ、求められている仕組みは何かを考える会「みんなの学校研究会」を立ち上げました。5月から隔月で、奇数月に教職員と支援者に、そして偶数月には保護者のみなさんに4回ずつ集まっていただき、2月に合同の意見交換会を行いました。


                 会の名称は、大阪の大空小学校が実践している特別支援学級のない学校「みんなの学校」から着想したものです。彦根市でも、特別支援学級在籍児童が“交流”として普通学級で学習していますが、中には、一日のほとんどの時間を普通学級で過ごす児童もいます。逆に、普通学級に在籍しているけれど、学習についていけずに、しんどい思いで一日をやり過ごしている子どもも少なくはありません。大空小学校のように、同じ学級にさまざまな子どもがいて、複数の教職員、地域の支援者に見守られながら過ごすことができたならば、学校生活がもっともっと豊かで楽しいものになることでしょう。そんな希望を胸に、「みんなの学校研究会」では、保護者と学校が、相手ができていないことを批判し合うのではなく、何が問題で、どうすればうまくいくのか、子どもたちの幸せのために一緒に考え合うということをたいせつにして意見交換を進めてきました。


                 予測はしていましたが、参加者は圧倒的に保護者の方が多く、教職員の方は限定的でした。ですが、熱心に参加してくださった教職員のみなさんは、何とかしたいが上手くいかないもどかしさ、矛盾を率直に語ってくださいました。担任の思いが学校の方針、管理職の考え方と一致しない場合、思うように行動できないことや、問題をひとりで抱え込まざるを得ないサポート体制の脆弱性、働き方改革が要求される中で研修を受ける機会も限られるなど、学校現場だけでは解決できない問題が山積しています。それでも、教職員、支援者同士が体験談を交わし、自分自身の弱みを知る必要があると考えておられることや、子ども、親、教職員、指導員、住民、行政、みんなで役割分担して、チームで子どもが育つ地域づくりを目指したい、ひとり一人の子どもに合った学習環境を保障することが大事だという意見に、教育に対する熱い想いを感じました。保護者の中には、子どもが学校を卒業してからも定期的に集まって情報交換する「親の会」を運営していたり、地域の小学校に肢体不自由児学級新設を実現させたり、読み書き障害の理解と支援に関する勉強をしながら、独自の教材を考案するなど、精力的に活動している方々もおられます。ここにこんな人がいますよ、こんな活動がありますよという情報を関係者に広く発信していく役割の一端を、当研究会が担うことで、心が折れそうになっている人に勇気を届けることができるかもしれません。


                 親も先生も、地域の人も、みんな、子どもたちが生き生き、伸び伸びといられる社会を願っています。子どもが幸せな社会は、みんなが幸せな社会です。その願いを教育行政に反映させるために、この一年かけて語り合ってきた内容を検証し、深めて、実現に向けての次の一歩を踏み出したいと思います。

                 

                USP子育ち応援ラボうみかぜ「みんなあつまれ」 成松祐子

                | 地域から | 10:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                緊急! 保育教諭のつぶやき
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                   クラスで力のある子が『あの子と遊んだらあかんで』と言って周囲がそれに同調するがごとく、国で力のある人が『大人も児童・生徒も集まったらあかんで』と言って人々が必死で同調してるから、えらい変な騒ぎです。


                    同調圧力で国が滅びることができるのではないかと思われるほど、人々は集まらないことに必死の勢いです。
                   

                    でも、働く親の乳幼児は保育所や認定こども園に集まっています。保育教諭の私は狭い部屋で乳幼児と身体接触しています。わが園には毎日200人ほどの子どもと50人の職員が集まってます。

                   

                    保育者は子どもから咳もくしゃみもかけられ、乳幼児もまた保育者たちと極めて濃厚接触しています。保育者たちの勤務外の行動は特に制限されていないどころか、毎日電車通勤の者もいます。


                    本当に感染予防の観点があるなら、保育者を滅菌させてから乳幼児と接触させなければならないでしょうが、国からそんな要請はないようです。


                    学童保育所の先生はもっと狭いところで格闘して傷だらけになる期間が例年より格段に増えました。
                   それでも身近に感染した人はまだいません。

                   

                    働く親の子どもたちはそんな状況ですが、一方で、極めて体力がありそうな野球選手やラグビー選手は接触することを延期され、高校球児は接触を回避されました。
                     

                    滋賀県や県下市町が学校を閉鎖して10日が過ぎました。子どもにとって最も安全でなければならない場所を一番に閉鎖しなければならないとすれば、常日頃から無策だということです。
                     

                    空気を除菌できる装置、N95以上の性能のマスクなど、その他さまざまな感染予防対策はその気になれば準備できる資本力はあるはずの国で、そんな話にもならない。それどころか紙類が不足するなどのデマに人心が振り回され・・・。一部の自治体を除き、なんの抵抗もなく学校閉鎖してしまう首長たち。


                    街で子どもの姿がみられるのは、個人的には微笑ましいが、それでパンデミックから子どもを守れるとは思えない。
                    どこを切り取っても、この騒ぎはピンとこない。感染よりも怖いのは権力者が『愚か』で民もまたそれに抗えないことだと思え、本当に怖い。

                   

                                            匿名保育教諭 

                   

                  | 会員エッセイ | 07:23 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  保育教諭だより
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                                                  匿名保育教諭 

                     今年度の4月1日から社会福祉法人が運営する認定こども園で「保育教諭」をしています。

                     昭和の後半に保育士資格を取得していたものの、その資格を全く使ったことはありませんでした。還暦直前になって人生で初めて保育士になったものですから、家族や友人を驚かせています。過去に幼稚園教諭としては12年間勤務したことがあるので、4・5歳児対象の幼児教育の経験はあるものの、乳児保育に関しては全くの未知でした。そして今、未知だった2歳児、つまり乳児保育に関わっています。

                       私は、幼稚園教諭以外に「(個別に子どもの育ちに伴走する)教育相談員」や「(すぐに子どもに会いに行く)子ども相談電話受け手」などを経験しており、その経験から、目の前の2歳児がどんな児童期や青年期を迎えるのかに思いを馳せながら日々保育しています。

                     当該認定こども園の基盤は社会福祉です。行政が「養育に欠ける」と判断した子どもたちが入所してきます。人生わずか三年未満で父親や母親と離別したり、生後養育環境(国や地域)が大きく変化したりした子どもたちもいます。また、立派な体格をして4歳児顔負けに話すことができ、走ることも跳ぶこともできるのに、未だにベビーバギーに乗せられて登降園する子どももいます。また、箸を使って食べることができるのに、家庭では哺乳瓶で飲み物与えられている子どももいます。3歳になる前に自分のことを「悪い子」と感じている子どももいるようです。

                      人生の極初期に安心して過ごせなかったり、自分ができることをのびのびと発揮できなかったりする子どもたちが、これから10数年後の青年期を乗り越えられるかと気になる場面が多くあります。子どもたちは、2歳児の頃の保育者のことは、きっと認知能力としては記憶に留めないことでしょう。それでも、自分がまるごと受容された体験は子どもたちの非認知的な記憶として刻まれることを信じたいのです。2歳という「イヤイヤ期」とも重なって、乳児期から養育者が何度も変わる経験をしてきた子どもは、ちょっとしたことで気分を害し1日に何度も大泣きして暴れて「先生大嫌い〜!!」と、何の関係もない私に突然とばっちりが来ることもしばしばあります。そんなとき私は「私は○○ちゃんのことが大好きやでー」と耳元で囁きながらその子どもを抱きしめます。他の子に被害が及ばないように、という意味もありますが、とにかく10数年後に訪れるその子の揺れる青年期まで、どんな時でも「好き」と言われて抱かれたその記憶を留めておいてほしいという願いを込めて・・・。

                     わすが生後2年を過ぎた頃の子どもたちの養育環境の不安定さから、この国の大人たちの生きづらさの喘ぎが感じられます。親の誰が子どもを不安定な養育環境に置きたいと考えているでしょう。大人たちもまた社会によって不安定にさせられたり、弱くさせられたりしている存在です。社会の歪みがあります。その異常さに気づいている者たちが何とか声をあげていかなければならないと思いながら、日々2歳児たちに対峙しています。

                     機会があればまた「保育教諭だより」をお送りしたいです。

                                                

                    | 会員エッセイ | 16:59 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    この地で育つ喜びをすべての子どもに
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                       外国人労働者の受け入れがこの4月から拡大された。出入国管理および難民認定法(入管法)改定で、技能実習などに限られていた単純労働への就労者の枠が広がった。2018年10月の統計で外国人労働者数は146万人と過去最高となったが、今後も増えるだろう。

                       遡ること1990年、やはり入管法で外国人の在留資格が改定され、主にブラジルやペルーなど南米からの日系人が労働者として日本に渡ってきた。私は1985年春から約1年間ブラジルに居たこともあり、懐かしさと同時に「世代を越えての帰国」に複雑な思いももった。日系人は当初単身での来日だったが、次第に家族を呼び寄せあるいは家族をつくり定住化へと進んだ。そして子どもは日本で暮らすこととなった。日系人、日本に住んでいるとはいえ、すでに母語はブラジルポルトガル語やスペイン語、文化・習慣が違うのは当たり前で、子どもたちは数々の苦労と苦悩の中で成長することになる。

                       

                       10年ほど前のこと、ブラジル人の女の子Hちゃんは、父親が仕事を失ったため通っていたブラジル人学校をやめ、地域の幼稚園に入園した。しばらくして父親は働くようになったが、同時に幼稚園への送り迎えができなくなった。そこで当時私が勤めていた多文化保育をかかげる認可外保育施設で、幼稚園が始まるまでの時間と幼稚園への送迎、幼稚園が終わってから親が帰宅するまでをサポートした。それまでの幼稚園での様子はというと、「友だちと遊べない、先生の指示をきかない、いさかいを起こす、じっとしていられない」など、先生を困らせる存在だった。ところが、私たちがかかわるようになってその姿に変化がみられるようになった。ブラジル人スタッフが、幼稚園に送って行った時にHちゃんにその日の予定を話す、迎えに行った時にその日の出来事を聞く、フォローが必要なら本人にも先生にも保護者にも伝える、それに加えて日本語も教える。そうしているうちに、幼稚園ですること、先生に指示されていることがわかるようになった。自分も伝えることができるようになり、1年後には日本人のお友だちとともに笑顔で卒園を迎えた。

                       Mちゃんは4才、日本語でも簡単な会話ができた。ママも生活に困らない程度の日本語会話力だった。日本の家庭なら、赤ちゃんが生まれて成長するにしたがって、適した絵本・本を与える。しかし、日本で暮らす外国人家庭の場合、日本語を話せたとしても読めないことが多く、日本語の絵本を読み聞かせることは難しい。母国の絵本も手に入りにくい。そこで、ブラジルポルトガル語の訳をつけた絵本を貸し出した。それを見たMちゃんは「ママよかったね。これでいっしょに絵本が読めるね」とママに笑顔で言った。親子で絵本を楽しんでもらうことを意図した取り組みだったが、現実にそのシーンを目のあたりにすると涙がでるほどの衝撃だった。絵本は、親子の絆、会話、共通の楽しみ、文字へのいざない、ことばの確認、価値観の共有などいろいろな働きがある。そんな機会が乏しいのは、残念で仕方がない。

                       両親あるいは一方の親が外国語を母語とする場合、2か国以上の言語、つまりは複数言語の環境の中で子どもは成長する。それぞれの言語がうまく習得していけるとよいのだが、そうばかりとは限らない。話せるが書けない、話せるが学習にはついていけないということはよくある。

                       

                       ある保育園で日本語の語彙・文法などの調査をした結果、1歳児から5歳児までのどの年齢においても日本人と複数言語で育つ子どもの日本語力には差がみられた。小学校に入り学習が進んでいく中で、差を詰めるのが容易でない。本人の資質や努力を頼みにするのではなく、システマティックにかつ愛情あるサポートが必要だ。

                       昨今、多文化・複数言語の環境の中で育ちながら、全国区であるいは国際的に活躍するスポーツ選手、タレントの話題には事欠かない。本当に誇らしいと思う。最初に挙げたように、他国からこの国に働きに来てくれている無名の人が百数十万、外国をルーツに持つ人々はおそらく何百万人といる。日本に来てよかった、日本で育って幸せだったといわれるために、社会は、私は何ができるだろうか? 還暦まで後数年の身で考えている。

                       

                      鈴木祥子(しが多文化保育研究会)

                      | 地域から | 09:51 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP