日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
地域の皆さんとの交流をめざしています。
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問われるのはおとなの主体性―支援実践をめぐって考えること
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     湖東地域の愛知郡・犬上郡には四つの小さな町があり、私はその四つの町が合同で設置している児童発達支援事業所に勤務しています。発達支援を要する就学前の子どもと保護者への直接支援が主な仕事ですが、通所児が併行通園している保育所や幼稚園へ訪問して、先生方と一緒に通所児への支援を考えることも大切な業務の一つです。

     

     5月の連休明けから、今年度の保育所や幼稚園への訪問が始まったのですが、園の先生方のお話を伺う中で、とても気になることがありました。保育指針や幼稚園教育要領の改訂で「主体性」を育てる保育が強調されるようになり、ある園では主体性を育てるため、クラス全体が集まる機会を減らし、制作活動などにおいても一斉指導を行わないようにという指示が出たそうです。ある先生は、子どもの姿が良い方向に変化しているようには見えず、本当にそのような保育の進め方で良いのかもやもやした気持ちで過ごしていると話されていました。疑問を感じている先生方は多いそうですが、会議等で疑問を投げかけても「このやり方で進めるように」と言われるのみで、今ではこのことに関する意見は出なくなったとのことでした。

     

     「主体性」をどのような取り組みの中で育てて行くのかという点については、今後様々な実践を通して検討を重ねることが必要ですが、私が気になったのは、保育士の先生方がこのままで良いのかという疑問を持っているにも関わらず、職場内でそのことが議論されることなく、「もやもや」した気持ちを抱えたまま、日々子どもたちに関わっているという点でした。これは、子どもたちにとっても、先生方にとっても、望ましくない状況だなと感じました。

     

     児童発達支援の分野でも、○○プログラムなど目新しい療育方法が次々に出てきては消えています。「Aちゃんは自閉症だからカードを使った方がいいんですよね?」と相談されることがよくありますが、○○障害の子どもには△△法が良いと当たり前のように適用するのではなく、日々の様々な場面で見られる子どもの姿から取り組みの内容は検討される必要があると思います。国から示された指針や要領を読み解いたり、研修等で示された実践を自分たちの取り組みに取り入れる際には、形だけを取り入れるのではなく、自分たちが関わっている子どもたちの姿から、どのような取り組みが良いのか考える姿勢がなければいけないのではないかと改めて考えさせられました。研修等で得た知識、実践を通して得た自身の保育観(療育観)、そういったものを駆使して、定期的に自分たちの取り組みを振り返り、子どもたちにとってより良い取り組みについて、職員同士で十分議論していくことができるように努力していきたいと思っています。

     

     当事業所では、管内の保育所・幼稚園の先生方と、一つの事例をもとに議論したり、講師からスーパーバイズを受けたりする勉強会を定期的に行っているのですが、徐々に事例を出して下さる園が減ってきています。講義形式の研修は参加者も多いのですが、事例検討の形式では参加者が少なくなるという現状もあります。日々の業務が忙しく、自分たちの取り組みを振り返ってまとめたり、議論し合うことにエネルギーを向けるのはなかなか大変ですが、仲間が増えると頑張る意欲もわいてくるかと思い宣伝させていただきます。このブログを読んで、勉強会に興味を持たれた方がおられましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。

     

    湖東広域衛生管理組合 児童発達支援事業

    愛犬つくし教室 小澤美早子

    | 会員エッセイ | 12:20 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    2018年2月、雪の湖岸で・・・
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       寒い日が続きます。北部ではしっかり雪がつもり、あちこちで大人の手による本気の雪だるまが生まれています。


       先日、当支部では、新版K式発達検査についての研修会がありました。新版K式発達検査実施の基本をご講演くださいました大島剛先生(神戸親和女子大学)、事例検討のために資料をまとめてくださった滋賀支部会員のお二人に、心より感謝申し上げます。また、とても寒い中ご参加くださった先生方、活発に論議いただき、ありがとうございました。当該分野の研究者から講義を受けることは、新しい知識や視点を得られることが多く、またすでに知っていたつもりでいたことであっても、改めて整理し直したり意味づけし直したりでき、とても大事な学びの場であると思います。また、今回の研修では、支部会員のお二人が事例をまとめてくださり、それをもとに皆で論議する機会を持つことができましたが、こちらの場合は自分の経験や知識を総動員して、相手に「どうでしょうか」と披露することになります。自分の考えを形にしてまとめ、ことばにして相手に伝えて意見をもらうことは、「応用編」のような難しさを感じます。講義を受けたあと、質問ができる力が大切と聞いたことがありますが、それと同じなのかなとも思います。難しいけど、大切な場だな…と参加者の一人として改めて感じました。

       
       話は全く変わるのですが、雪の湖岸でふと思ったことを書いてみようと思います。はじめに書いた「本気の雪だるま」です。

       犬の散歩で、雪の積もった琵琶湖の浜辺を歩いていたら、そこそこ雪が積もった日には、本気の雪だるまが本当に2〜3体現れていました。子どもがせがむのでしょうが、作っているうちに大人の方が本気になるのでしょう。大きくできあがった胴体部分にお母さんと思われる方がよじ登り、頭部分を作っているお父さんや子どもを見下ろして「どうだ」とはしゃいでいる姿も見られました。別の「本気の雪だるま」は、胴体部分がなんと大人一人が入れるほどのかまくらに改造されていました。また、「本気のそりすべり台」も出現します。幼い子どもにとってはそこまで大きくなくても…と思うほどのものです。

       あと、意外に感じるのが「雪の上を自転車で走りたい大人がいる」ということです。自転車の腕前を上げたいついでに、転ぶことも楽しんでいるようでした。雪が積もった浜辺には、たくさんの水鳥の足跡と、散歩した犬の足跡の他に、雪だるまが作られた跡や自転車の跡という大人が本気で遊んだ痕跡がたくさん残っています。

       これまで私は、子どもたちの「あそび」の中で現れる「本気」は、「学びの原動力」につながるように感じてきました。子どもよりもたくさん学んできた大人が、まだ「雪遊びに本気になれる」ということに、少し不思議さを感じます。「童心を忘れない大人」だからできることなのでしょうか…?

       

       少し考えてみたのですが、きっと多くの大人が「本気で遊びこむ力」をもっているのだろうという結論に達しました。

       ということは、大人もまだまだ「学びの原動力」を持っているということになるのか。私自身にも「つい本気になっちゃうような、知りたくて、やってみたくて、突き動かされるようなもの」があって、学びにつながるのかな?そうだといいなぁ、と思う雪の日の琵琶湖の浜辺なのでした。

       

       とりとめのない長文、失礼しました。

       

      滋賀県立野洲養護学校 大城徳子

       

       

      | 会員エッセイ | 06:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      人とのかかわりの中で子どもも大人もともに育ちあう
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        彦根おやこ劇場
        事務局長  福原美智子

         

         

         子ども達がテレビづけにされつつあった1966年、子どもを取り巻く状況に不安をもった福岡の母親や青年たちが、子どもたちの健やかな成長を願い『おやこ劇場』を始めました。やがてその活動は全国へ広がり、そして、彦根へも…。彦根おやこ劇場は、今年で設立28年を迎えます。

         主な活動は生の舞台芸術の鑑賞を行う「例会」と、子どもが「やりたい」ことを実現する「自主活動」です。内容に応じて0才から青年、大人の会員が集います。そこでのかかわりを丁寧にみながら、ひとり一人を理解し、子どもも大人もともに育ちあうことを目的に活動を行っています。

         

         「例会」では生の舞台をあじわうことはもちろんですが、例会の前・後をどのように迎えるかということも大切にしています。

         子どもも大人も意見を出し合い作品を選ぶところからスタートします。子どもも役割を担い、プレゼント準備、看板づくり、司会など、準備の段階から仲間とかかわり公演を心待ちにします。当日の受付では、「久しぶりやね。」「大きくなったね。」と、言葉が飛び交います。小さな時から我が子とともに育ってきた子どもたちだからこそ、心からそんな言葉があふれてきます。そして、会場にはいつもの仲間と楽しそうに居る子どもたちの姿がみられます。「一緒にいるだけで楽しい!」「隣で笑うと、自分も楽しくなる!」そんな空気が漂います。

         

         公演後は、一緒に観た仲間と感想を話すことも楽しみの1つです。舞台を観て感じた事はすべて「正解」という大前提のもと、感じたことを話します。自分とは別の視点が新鮮だったり、同じ場面においても「そんなとらえ方もあるんだ。」と相手と自分の違いにも気づくきっかけにもなるようです。

         

         子どもの「やりたい」を実現する「自主活動」は内容に応じて、サークル(小人数)、同学年、異年齢、地域など、さまざまな会員の繋がりの中で取り組みます。

         昨年12月、「小学生以上対象のクリスマス会」を行いました。これまでは、中学生が実行委員となり企画してきた冬の恒例行事でしたが、今年は違いました。事前の話し合いで、中学生が「今年は僕たちはしません。」と意思表明をしたのです。楽しみにしているであろう小学生たちの顔を思い浮かべると大人は心が痛みました。話し合いの結果ですからしようがない…と大人があきらめかけていた時、「僕たちがやりたい」と小学5・6の子どもたちから声が上がりました。子どもが「やりたい♪」となったときのパワーは最強です。そこからは、「自分たちらしいクリスマス会をしたい」と子どもたちが動き出しました。

         ケーキコンテスト担当(小5女子)は、どうすれば平等に生クリームがいきわたるか…ということについて3日間、話し合ったとか。なぜ、そこにこだわったかというと、以前に参加したクリスマス会で、自分の番に生クリームがほとんど残っていなかったことがとても嫌だったからだそうです。話し合いの様子を見守っていた母さんによると、「大人には何てこともない事をあれこれ話し合う姿がとても面白く、なによりお互いに安心して意見を言える関係がとても良くて、そんな関係がうらやましいくらいでした。」とのこと。

         また、ゲームのタイムキーパー担当(小5女子)では、ただ時間を測るだけでは面白くないから、その時間、楽器を演奏しようということに決まりました。なにかと放課後も忙しい最近の子どもたちですが、親と交渉もしながら時間をつくり、何度も集まって演奏の練習をしていたとか…。当日は参加者から大喝采をうけ、生き生きと演奏をしていました。

         

         「学校ではみんなの前に出たくないけど、劇場やったらできる」そんな言葉を子どもたちから耳にすることがあります。そう言いながら劇場で経験を重ね、自信をつけていく子どもも少なくありません。「私はこうしたい」「私はこう思う」といえて、自分を発揮できる場があることは、これからを生きる子どもたちにとって、本当に大切なことだと思っています。

         

         しかしながら、活動の中で、いつでも、どの子にもそのような場があるわけではありません。そして、子どもは日々成長し心も身体も変化し続けています。大人は、その都度、立ち止まりどのように子どもをサポートをするかを考えることが大切だと感じています。

         

         彦根おやこ劇場では、月に2回大人が話し合いの場を持ちます。活動中の子ども同士のかかわりや、その場での「気づき」を出し合います。その時の子どもの言葉、空気、様子を参加者全員で共有し、それぞれの視点からひとり一人の子どもに向き合い、その「気づき」をさらに深め、ひとり一人の子どもを理解していくことを大切にしています。同じ世代の子どもを持つ親であれば、その子どもの思いや、その親の思いに寄り添うことができたり、先輩お母さんからは、また違った視点からの意見を聞けたり、話し合いの場を共有した大人の数だけその気づきの幅が広がっていきます。

         

         我が子の周りで、自分の住む地域で、子どもひとり一人を丁寧にみて理解を深めあえる仲間が増えることは、とても素晴らしいことだと思います。 「子どもの関わりを見るのが面白い」「喧嘩もトラブルも大歓迎!」といいあえる仲間をこれからも、もっともっと増やしていきたいと思います。

         

         

        | - | 05:26 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        一人ひとりを大切に育てる保育を! 
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           私は、幼児の保育が大好きです。「誇り高い自分が一番!」の世界をもっている3歳の子どもたち。4歳から5 歳にかけて自信や戸惑いのなかをくぐりながらも、自分をコントロールする力をつけて良い自分を選ぼうとする とき。子どもたちのいろんな場面に出あう時の姿がとてもいとおしく思え、自分の大きな喜びに繋がって、元気 をもらうことができています。

           他方、この数年、発達に難しさを抱えた子どもたちの姿や大人への「安心」「信頼」という心の土台がなかなか 育ちきれていない子どもたちの姿を多くみるようになりました。そんな子供たちの姿に苦悩し、どんなにたくさ んの働きかけやさまざまな努力をしても、なかなか報われず、心身ともに、くたくたになっている自分もいます。、 保育士としての区切り、離職が頭をよぎることもありました。

           いつも「かっかっ」と怒っている A ちゃんは、ひとつ歯車が狂うと泣き叫び、友達を突き飛ばし、髪の毛を引 っ張ったり足蹴りをしたりと・・・叱ろうが、なだめようが、手をつけられなくなります。そして、その興奮が おさまり、その後しっかり受けとめてもらえることがわかると保育士にずっと「だっこ・だっこ」の要求で、 まるで赤ちゃんのような姿にかわります。また B くんも友達との関わりが難しく、一日のほとんどを友達への 「攻撃」的なことばや行為で終わる日がたくさんありました。「おもしろかった!」「やったあ!」とかクラスの 生活の手応えやおもしろさを感じることが難しいさまざまなハプニングの連続・・・。そして他の子どもたちに は、「我慢」をさせてしまう理不尽なことも多く、保育士として心が痛む日が続きました。また、自我の弱かった 子ども達がそれぞれに力をつけてきているために起きるもめごとも増えてきて、毎日どうすれば、どの子も楽し く気持ちよく保育園での生活が送れるだろうか?と考え続けた数年でした。

           さまざまに試行錯誤をしていくなかで、異年齢保育にたどりつきました。異年齢で活動や生活する日を一週間 のうち2日ほど始めると、なんと、A ちゃんが別人のような表情や姿をみせるようになりました。年上のお姉さ んにたくさん甘えさせてもらったり、その仲間に入れてもらうことが嬉しくて、遊びのなかで「少し我慢」をす るという姿を見せ始めたのです。同年齢では、なかなかできない自分の気持ちのコントロールが異年齢の中でな ら、可能になる場面がたくさんあり、良い自分を選び感じられることがふえてきました。他の子どもたちも同様 に落ち着き、とてもリラックスしている姿をみせるようになりました。

           以前は、保護者と同じ方向を向きながらの子育てを基盤に、保育実践をあれこれ考えながら行ってきたのです が、近頃はそのこともままならない局面が多くあります。子どもたちの心の育ちは今の同年齢保育だけでは、も う対応しきれないところにきているのでは?・・・そして、今まで私たちが、抱いてきた保育観を根本的に見直 す時が来ているのでは?・・・。そのようなことを強く思うようになり、保護者との話し合いを重ねながら、5 年目の昨年度から、社会福祉法人どんぐり会どんぐり保育園(彦根市川瀬馬場町)では、思い切って異年齢(3, 4,5歳児)の縦割りクラスを編成し、それぞれのの部屋は、自宅の部屋家のようにリラックスできることをねら いとしながら、クラスではなく「おうち」として保育をすすめることになりました。

           異年齢集団での生活は、なんとなくお互いを無条件に認め合う雰囲気があります。どの「おうち」も毎日を子 どもたちが落ち着いて楽しく過ごしています。異年齢集団は、年齢でなく個人差に応じて遊ぶということで、同 年齢での活動についていくのがしんどい子どもや、発達や心の育ちに問題をかかえている子も、自分の要求や個 性が認めてもらいやすく居心地の良い場であるということを、異年齢で過ごす子どもたちの姿を通して感じます。 同年齢集団の中では、どうしても競争的な関係が多くなり行動や気持ちのコントロールが難しく、なかなか自分 に自信がもちきれずにいた子どもたちが、とても生き生きとした表情や姿をみせたりもしています。乳幼児期は、 人として育っていくかけがえのない大切な時期で「安心感」を土台に、育つ力を発揮していくと言われています。 家庭や地域でもさまざまな年齢層の人達と関わる機会が少ない今日の状況下では、保育の場で安心できる大人と の関係や幼児期の友達との豊かな関わりを通して、「人が好き」「友だち好き」「そしてなにより自分が好き」とい う自分を肯定でき、人を思いやる気持ちを大切に育てたいと思います。そして、「どんな子どもに・・」というこ とだけでなく、子どもたちの豊かな思春期、青年期を見通しながら「どんな大人に・・」と言うことに繋がるよ うに思います。

           私たちは、子どもは何かをできたりできなかったりしながら育っていくのだということを前提に子どもの成長 を幅広く見守る保育を大切にしたいと思います。子ども自身だけでなく、わが子の発達に不安を抱えておられる 保護者や保育士も、ともに気持ちを楽にして保育園にかかわる生活がおくれることを目指し、子ども、保護者、 保育士が本当の意味での「心の育ち」というものを実感できるように願っています。

           どんぐり保育園は、今年4月に滋賀県立大学の敷地をお借りして、「どんぐりけんだいまえ保育園」を開園しま した。乳児期では、育児担当保育を行いながら、人に対する信頼感をしっかり育てます。また、あたたかい人間関 係と秩序ある生活、良い絵本や優れた遊具に囲まれての豊かな遊びや良い環境を提供し、一人ひとりの子どもに しっかり目を向けて、「一人ひとりを大切に育てる」ことを大きな理念としながら、保育園をつくっていきたいと 思っています。                   

           

          社会福祉法人どんぐり会どんぐりけんだいまえ保育園  藤本 佳子

           

          | 地域から | 19:06 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          人は誰でも・・・
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            丸澤由美子(独立行政法人 国立病院機構 鈴鹿病院 療育指導室 児童指導員)

             

              私は「重症心身障害児(者)病棟」に児童指導員として勤務しており、呼吸器を装着していたり、吸引ケアなどが頻回に必要だったりする人々と毎日一緒に過ごしています。

             「どんなことをしているの?」とよく質問を受けます。病院で、医師は診療し、看護師は看護を、介護職は介護を…と、それぞれが専門分野に特化した仕事をしています。では、児童指導員とは何でしょう。実は、入院されている方々の発達に即した療育活動の検討(教育面)、当事者家族への支援や相談(心理面)、個別の福祉プランの作成(福祉)、身体機能改善に向けた支援(介護)等、多岐にわたります。「それで、結局何をしてくれる人なの?」と思われてしまうのですが、結局のところ、私は「患者さんの側から病院でできることを一番に考える人」だと思っています。患者さん一人、ひとりに寄り添い、「患者さんにとって、何が大切か?」を多角的に捉え、行動し、多職種と連携する人だと思っています。

             病院ではどちらかというと高齢の方とのお付き合いが多い私には、月1回、子どもと触れ合う機会となる「みんなあつまれ」(成松祐子主宰)への参加がとても大切な時間となっています。「みんなあつまれ」は、発達に気がかりのある子どもが親子で参加する、参加自由、入退場自由、申込不要の気軽に参加できる子育ちサークルです。滋賀県立大学の交流センターの部屋をお借りして活動しています。月1回の土曜日、10時から12時の2時間の実施ですが、その間親子は離れて過ごします。保護者はその時々の思いや疑問、悩みを出しあい、お互いにアイデアや経験談を話す時間を持ちます。

             子どもたちは、その間それぞれに「これがしたい!」という遊びをしながら、保護者のお迎えを待ちます。プラレールやままごと等の遊びが好きな子どもたちが多いのですが、一番人気は“ヒツジさん散歩”です。これは、滋賀県立大学内で実施しているという特色を活かした散歩です。滋賀県立大学の構内は、車の往来が少なく、子どもたちが安心して、子どもたちのペースでゆったりと歩くスペースがあります。また、さまざまな植物があり、動物にも出会えます。子どもたちにとっては、“不思議”なものやことがいっぱいです。環濠の近くを歩けば、「おさかないた!」「これ(近くの草)食べるかな?」と盛り上がり、共通講義棟の近くに行けば、「カモさん、いたよ」「アヒルさん、来たよ」と近くに寄って行き、いきなり発せられる鳴き声を聞いてびっくりしたりしています。環境科学部では、ヒツジさんを間近で見て、興味津々に近寄って、お友だち同士で「これどうぞ~(草)」と声をかけにいったりして大興奮しています。

             職場で、ボランティアで、重度の障害のある方々や、軽度とはいえ発達に気がかりのある子どもたちと接している私は、ときどき、「障害ってなんだろう?」と考えます。重度の障害があっても、発達に気がかりがあっても、誰もがそれぞれに素敵な個性を持つ一人、ひとりです。重度の障害があっても、自分の気持ちを伝えたい思い、伝わらなくて困ったり、悩んだりしています。みんなと一緒に楽しいことをしたいとも思っています。発達に気がかりがある子どもたちも、散歩の途中で綺麗に咲いている花を見つければ、「ママにもっていく!」と摘んだり、動物たちに「あつくない?」と声をかけたりする姿が見られます。障害のある人たちも、自分以外の人、特に家族やお友だちに「喜んでもらいたい」「役に立ちたい」と思っています。そんな素敵な気持ちは、障害があっても、なくても、“みんな一緒”なんだと気づかされます。

             障害があると、ともすれば、「○○スキルトレーニング」「○○療法」等、障害ゆえに足りない部分を補おうと訓練のような取り組みを行う傾向があります。しかし、「重度の障害があるから」「発達に気がかりなことがあるから」と足りない部分を補い、何かしらの訓練をしなければいけないということはないように思います。私がかかわっている集団の中では、みんながお互いに折り合いをつけながら育ち、活き活きとした姿を見せてくれています。そんな姿をみていると、それぞれの育ちを「見守り」「共有」しあうことが大切なのかもしれないと思えてきます。それぞれが日々を健やかに生きて活き活きと暮らせる場があることが、どの人にもあることが私の願いです。みんなが頑張りすぎなくても、自分らしさを活かし、認められながら生きていける環境を目指し、これからもさまざまな活動に取り組んでいきたいと思っています。

             

             

            | 会員エッセイ | 10:34 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            『聞く』ことと『聴く』こと
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              岡村律(滋賀県立八日市南小学校ことばの教室)

               

               働きだして、15年近くたつ。

               初めての職場は利用者さんの話を『聴く』ことが仕事の一つであった。先輩から「『聞く』ではなく『聴く』ことをしてください」と言われた。

               そもそも『聞く』ことと『聴く』ことはどう違うのか。どちらの漢字にも『耳』がある。しかし、部首が「もんがまえ」と「みみへん」と異なっており、一文字中に占める「耳」の大きさが違う。今、この原稿を打っているパソコンの漢字変換時に提示される辞書には、それぞれの意味が『聞く:〔一般的〕』、『聴く:〔限定的〕身を入れてきく』とされている。

               

               初めての職場は自分の思いをなかなかことばにすることができない人たちと時を過ごす場であった。利用者さんに言われたことがある。「私はあなたに意見を求めていない。ただ、話をきいてほしい」と。自分なりに聴いているつもりが、聞いていたのだ。
               心と頭にズドン!と響いた。その方の思いを聴いて言語化したのではなく、私自身の理解を言葉にしたものを返してしまっていたのだ。それからは「どう思う?」と意見を求められた時に「私は、こう思う」と伝えるようになった。

               

               その後、今の職についた。
               子どもに直接指導をするとともに、保護者に寄り添い少し先の未来を見つめながら今していくことを伝える仕事である。結婚も子育ても経験したことがない私は、子ども寄りになることが多かったが、保護者面談をしていく中で、保護者も悩み、とまどい、立ち止まり、前へ進んで、子どもが年齢を重ねるように、親としての年齢を重ねているのだと気づいた。それは『聴く』ことを繰り返すことで気づけたことである。

               

               最近は『きいてほしい』と面談を希望される保護者が多い。話の内容は、担当している子どもの生活習慣のことから、きょうだい関係、きょうだいの悩みなど様々である。保護者は「何とかしたいけど、何をどうしたらいいのか、わからない」という状態をグルグル繰り返している方が多い。ことばでうまく表現できない方もいるため、気になることを付箋に書いてきてもらうことをする。

               同じ内容でもいいので、付箋一枚につき一つの内容。これを一週間してもらうと、保護者が言いたい内容が出てくる。その内容を詳しく『聴き』、どうすればよいかを一緒に考えていく。その繰り返しをすることで、保護者が前に進むことができ、そのことが子どもへのかかわり方の変化へとつながっていく。保護者自身が子どもの話を『聴こう』とし、子どもにきこうとしてくれるのだ。
               就学直前や就学後に保護者自身が変化に気づくことが多く、その変化が保護者の自信になっているという話もきく。そういう話を『聞く』ととても嬉しい。

               

               元来話をすることが好きな私。

               『聴く』ことが苦手という自覚もある。ついつい言いたくなるのだ。
               それでも『聴く』ことが次の一歩へとつながる。

               

               これからもいろいろな出会いを楽しみに、『聴く』ことをしていきたい。

               

               

              | 会員エッセイ | 09:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              子どもの声を聴いて社会に繋ぐ
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                山本千華子(大津市市民部 文化・青少年課 いじめ対策推進室相談調査専門員、臨床発達心理士)

                 

                 【おおつっこホットダイヤル】は、いじめに関する子どものための相談ダイヤルです。その電話番号を子どもたちに知ってもらうために、学校を通じて電話番号記載のカードを配布してもらったり、不定期の通信を発行したり、無料手紙相談を配布したりしています。

                 【おおつっこホットダイヤル】に寄せられた相談には、《おおつっこ相談チーム》が対応します。《おおつっこ相談チーム》は、市民部いじめ対策推進室所属の相談調査専門員から成るチームです。

                   子どもたちの悩みは様々です。もちろんいじめや友達関係で辛い思いをしているという相談が過半数ですが、それ以外にも教師の指導上の問題、家庭の経済的な問題、進路の問題、家族の問題、特別支援教育的課題等、子どもの抱える問題の背景には様々な要因が含まれています。

                 《おおつっこ相談チーム》が一番大切にしていることは、「子どもの声を聴く」ということです。子どもの問題を親や教師や行政の視点から見ず、子どもの視点に立ち、子どもが解決したいように支援する、ということです。

                  もちろん親御さんからの相談も受けます。親御さんから相談を受けたときにも必ず当事者である子どもさんの話を直接聴かせていただけるようお願いします。

                  たとえば、不登校の問題。子ども同士のトラブルや教師の指導上の問題で登校しづらくなった場合、親御さんと学校の対立が激しくなり、その間に挟まった子どもの声が誰にも届かなくなっている場合も少なくありません。親御さんから相談があった場合も、親御さんの相談担当とは別の子ども担当者が子どもの話をしっかり聴き、子どもと学校の関係を調整し(親と学校ではなく)、子どもが登校したい場合には子どもの登校を支援する。一方で親担当者は親の話を聴き、親と学校やその他の関係を調整する。親の問題と子どもの問題を別物と捉えて対応することで、子どもの問題が解決することも少なくありません。もちろん、そう簡単に解決に至らない事案もあります。また、《おおつっこ相談チーム》は事案をチームだけで解決するわけではありません。 

                  大津市では、平成25年度のいじめ対策推進室新設と共に、常設の第三者機関《大津の子どもをいじめから守る委員会》が設けられました。子どもの権利に詳しい弁護士や子どもの発達に詳しい心理士、関係調整に詳しい心理士等、五人の委員に就任いただいてます。

                 《おおつっこ相談チーム》は個々の子どもの支援に力を尽くします。そして、毎週開催される委員会には個々の事案から見えてくる学校問題や子ども行政の課題を議論し、解決の方向を市長に提言していく使命があります。

                   個々の子どもたちが抱える問題を、子どもの声を聴きながら子ども中心に解決することを目指し、それのみに留まらず、その問題が起こった社会的背景にも目を向け是正を目指す。《おおつっこ相談チーム》と《大津の子どもをいじめから守る委員会》はそんな大志を抱いて活動しています。

                 

                 

                | 会員エッセイ | 07:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                ごっこ遊び、黎明す!
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                   ある日、すいた電車で帰路についていたとき、携帯が鳴って娘からの電話。

                   「お母さん、お母さん!お母さんがCoCoを寝かせつけるときに歌っていた歌なんていう歌!?」と電話の向こうで娘がテンション高く尋ねてくる。

                   

                      CoCoは娘の娘。私の初孫。

                   

                      私は娘に「コニー・フランシスって言う人のWhere the boys are って歌。日本語ではボーイハントって題で伊東ゆかりって人が歌っていたらいしわ」と答え、「なんで?」と尋ねると「あのね、あのね、CoCoがね、ひとりで熊のぬいぐるみを抱いて背中トントンして何か歌っているのでよく聞いたら、うぇ〜ざ ぼいずあ〜 ってその歌を歌っているねん♪」とのこと。

                   

                     これは、孫娘が1歳6か月の時のこと。孫と私は別居だが、生後ひと月は娘が我が家に戻ってきていた。孫が生まれた時からずっと寝かせつけるとき私は、スィングする感じのこの歌を歌い続けていた。不思議とこの歌を聴くとおとなしく寝つくのだった。そして娘が電話をくれた時、孫は普段自分を抱いて歌ってくれている人になりきって遊んでいたというのだ。これが孫娘の人生初の成りきり遊び、つまり【ごっこ遊び】だったかもしれない。

                   

                     1歳9カ月のとき、彼女は私の不要なたくさんのポイントカードをポーチから出して一枚ずつ、炬燵を挟んで座っている私に渡してくるという遊びを飽きもせずに繰り返しやっていた。何がそんなに面白いのか、とても楽しそうである。良く見ているとカードを私に渡すときにいちいち「マス」といってぴょこんと膝を曲げている。そして10回に一度くらい腰をかがめてしゃがんで炬燵の下から何かを取る仕草をする。

                   

                      私はハッと閃いた。これはレジごっこなのではないか?「マス」といっているのは「ありがとうございマス」。膝を曲げているのは会釈。そしてレジの人がポイントカードをお客に返すところを繰り返している?時々しゃがむのはレジの人がレジ袋を取る仕草?

                   

                      そこで私はそれまで機械的に受け取っていたポイントカードをちょっと演技的に「どうも〜」と言って受け取るようにした。すると孫娘の表情がパっと明るくなって、今までも楽しそうだったその遊びがもっともっと楽しいというように満面の笑顔で遊び始めた。「マス」の声がそれまでよりも高くなった。そして膝を曲げる仕草がもっと劇的になった。やっぱりそれは【レジごっこ】だったのである。

                   

                      自分だけが【つもり】になっているのも嬉しいものだったようだが、その【つもり】に気づいてもらって、その【つもり】の世界を共有して遊び合うことがもっともっと楽しいという経験をしたようだった。

                   

                      興に乗ってきた孫は時折、複数のポイントカードを一度に持って「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・」と言う。多分、一万円札を受け取ったレジの人が千円札を数えながらおつりを渡す真似をしているのだと想像できた。

                   

                      彼女は赤ちゃんのころから毎日、専業主婦である娘に抱かれて西友やジャスコに買い物に連れて行かれるのが日課だった。レジの人は孫にとって毎日毎日、マニュアル的な動きを見せてくれるパターン化された動きをする、真似しやすいモデルだったのだろう。

                   

                      加えてこのころ、彼女は、今まで登っているだけだった家庭用のジャングルジムにタオルをかけて「おせんたく」と呟くようにもなっていた。これも初めて見る彼女の動きだった。

                     たぶん、今、この時期が彼女の〖ごっこ遊び〗の黎明期なのだと思う。

                      

                      “発達”を生業にするおばあちゃんにとって、孫の【ごっこ遊び】の黎明を目の当たりにできることはちょっと嬉しい経験だ。

                   

                  山本千華子(大津市役所)

                   

                   

                  | 会員エッセイ | 05:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  最近思うこと
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                    びわこ学院大学教育福祉学部

                    後藤真吾 

                     

                     最近思っているところをとりとめもなく記すことにします。
                     近年、医療の世界を中心にエビデンスということを良く耳にするようになりました。 特別支援教育においてもエビデンスを求めるような言説がひろく聞かれるようになってきました。
                     エビデンスということが、あたかも子どもへの取り組みのお墨付きを与えるかのような印象です。しかしここで少し立ち止まって考えてみると、教育にエビデンスを求めるということができるかという疑問が浮かびます。
                     英語のevidenceは、証拠・根拠、証言、形跡などという意味になるようです。

                     医療分野においては、治療法が対象となる疾病に対して、効果があることを示す証拠や臨床結果などのこというようです。この場合、疾病の原因や発症のメカニズムなどが詳細に明らかにされている場合には、それに対する治療法のエビデンスを求めることは合理性があるように思われます。この場合は疾病も治療法も常数として扱えると考えるからです。
                     一方、教育においてはどうでしょう。教育は子どもと教師、さらにはその子を取り巻く友だちとの相互関係で成り立つ営みということができます。この場合、対象となる子どもをいくらアセスメントしたとしても、子どもの全体を把握できるわけではありません。その子どもに対応する教師が行なう教育活動にしても、たとえ中身が同じであっても、教師自身が男か女か若いかベテランかなどの複数の要件によってそのタッチや意味合いは変わってくることは経験則として疑えないことだと思います。また、子どもも教師もその時の情動で具体的に示す行動は違ってきます。つまり、対象も対象に働きかける教師も変数ということがいえると思います。変数の乗数が一定の値を取ることは考えられないことになります。
                     こうしたことを考えると、そもそも教育活動にエビデンスを求めること自体が無理なことであるということがいえるのではないかと思います。
                     特別支援教育においては、子どもに診断名を付け、その診断名が付けばあたかもどの子も同じ子どもであるかのように、「これこれの障害の子どもには、これこれの方法を用いて課題に取り組ませると、これこれの成果がでます」などという短期の実践報告や研究が発表されます。ほんとうにこれで良いのでしょうか。日々真摯に実践を重ねている実践者の実践感覚と大きくズレているように思います。
                     ある意味「一期一会」の教育実践においてはそもそもここでいうエビデンスということそのものがそぐわないのではないか、そういうことが気になり出したこの頃です。教育における智というものはもっと別のところにあるのではないかと思っています。しばらくこのテーマを探ろうと思います。

                    | 会員エッセイ | 07:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    滋賀支部ブログ:いつも同じでいることを大事にしたい ―発達支援に思うー
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                      大津市子ども発達相談センター

                      佐々木一夫

                       

                       中学2年、5月の連休がすぎたころ,春子さんは、ある日、学校にいくこ

                      とができなくなりました。前日までの学校生活は、何ごともなくいつも通り

                      の毎日でしたし、帰宅後も、すこし宿題に時間がかかっていたものの、い

                      つも通り時間割をあわせていました。なのに、翌朝は、母親がいくら起こ

                      しても、布団を頭からかぶったまま、起きだせなかったのです。

                      友だちは、春子さんが休みはじめてからも、毎朝、友だちはいっしょに

                      登校しようと、迎えに来てくれました。放課後には、学校で配られた連絡

                      プリントなどを届けに来てくれる友だちもいました。授業の空き時間に、

                      心配して担任の先生が、春子さんに言葉かけをしようと、家庭訪問に来

                      てくれました。

                      春子さんは、そうした友だちや先生に、心の中ではすまないと思いなが

                      ら、どうしても顔を会わせることはできませんでした。お母さんは、みんな

                      が来てくれる度に、「会いたくない」と、春子さんが言っていると,友だちに

                      詫びなければならず、とてもつらい気持ちになっていきました。

                      ある日、先生はクラスの生徒たちから、質問を受けました。「先生、どう

                      して春子は私たちに顔を見せないのか」と。何か顔を合わせたくない理

                      由でもあるのなら知りたい、自分たちにできることなら、できる限りのこと

                      をやってあげたい、という思いからでした。

                      先生は、生徒たちに、春子さんのことをうまく説明することができないだ

                      けでなく、先生自身にしても、春子さんが学校を休んでいる理由、みんな

                      と顔をあわさない理由について、何ひとつわからず、したがって、なすす

                      べは何もなかったのです。

                      「私らのなんとか一緒に勉強したり、遊んだりしたいという気持ち、ふみ

                      にじるのもいいかげんにしてほしいわ。」春子さんが、学校に行かなくな

                      って、1か月が経とうというとき、友だちの中から、そんな声が上がってき

                      ました。毎日だった誘いが2日に一度となり,その数も一人減り、二人減

                      りとしてきました。春子さんは「こんな風に、自分を思ってくれていた友だ

                      ちの気持ちに泥を塗るようなことをしていて,先生や友だちから見放され

                      ても当然だ,きっともう一か月もたったら、だれも私のところへなんか来な

                      くなるにきまっている。結局、友だちといっても私にとってはそれだけの関

                      係でしかなかったのだ。」と思いはじめました。

                      それから,さらに一か月たち,ほとんど友だちの訪れが跡絶えた春子さ

                      んの家でしたが,毎日、学校での様子や友だちのことなどを記した手紙

                      が、京子さんという一人の友だちから届いていました。

                      「うれしいけれど,どうせもう一か月もしたらこの手紙も来なくなる。」春

                      子さんはそう思っていました。やがて、夏休みになり、すこしだけ、学校や

                      友だちのことを考えなくてもすむ時間が、春子さんにもできました。そうし

                      た夏休みの毎日でも、京子さんからの手紙は跡絶えることがありません

                      でした。

                      2学期になっても、依然として学校へはいけませんでしたが、ある日の

                      夕方、京子さんからの手紙の封を、いつもと同じように切ろうとした時、春

                      子さんは、友だちや先生、家族、あるいは人というものに、漠然とした信

                      頼の気持ちが芽生えてきたよう感じました。こんな気持ちは今まで経験し

                      たことのないものでした。

                      その後、中間試験のテスト範囲の手紙に、どさっと、授業ノートのコピー

                      が同封されて届けられました。春子さんは、久しぶりに教科書を手にし、

                      学校に戻ろうと思いました。学校に行けば、なぜ休んでいたのか、休んで

                      何をしていたのか、どんなことを聞かれるだろう、どんな目で見られるの

                      だろうか、いろいろと考えました。

                      しかし、学校に行っても、どの友だちからも、何も聞かれません。廊下で

                      すれ違った先生が、かけてくれた言葉は、「大丈夫か、今日のテストがん

                      ばれよ。」の一言でした。何ひとつこれまでと変わらない、いつもの中間

                      テストでした。

                      京子さん自身,先生から「春子に、なにがあったんやろな、わからんな

                      あ」と、言われても、一緒にうなずくしかありませんでした。けれど、『春子

                      が経験したことは、いつか自分にやってくるかもしれない』と、京子は心

                      のなかで思っていました。

                      心理・発達の支援理論やスキルで「相談支援」という仕事に携わりなが

                      ら、「自分のやっていることが、どこまで役立っているか分からない。ひょ

                      っとすると役立っていないことがほとんどなのかもしれない。」と、感じる

                      こともあります。

                      けれど、「むずかしいケースでも、その子どもにまなざしを向け続け、な

                      んとか分かろうと、懸命になることはできるのだ。」と、考えることを大切

                      にしています。

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