日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
地域の皆さんとの交流をめざしています。
CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< September 2019 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
RECENT COMMENT
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
スクールソーシャルワーカー(SSW)として人と出会う
0

     仕事をして生活するようになってから、ずっと児童福祉または教育の分野に身を置いて、子どもやその周りのたくさんの大人の方々とお出会いして早や、20年以上が経ちました。特に人が好きということも感じたこともなく、理科大好きで理系高校から理系学部で生物学を学んで卒業した私ですが、ふとしたご縁から対人援助職に就くことになり、とりわけ児童福祉の分野でのお仕事を長くしています。さらに臨床発達心理士としては は珍しい社会福祉士資格を持った(むしろ本業ですが)対人援助職です。
     変わっているといえば、これまでの生活も人と同じではないことの方が多く、苦難もありましたが、自分らしく人生を選択できてきたと思います。今思うと、その背景には家庭環境が大きく影響していると思います。何度も引越し、異なるコミュニティを体験し、周りと違うことで阻害されるような体験は小さい頃から見聞きし、実際体験してきました。辛かったことも多いですが、両親の愛情に支えられ、なんとか生きてこられたというと大げさかもしれませんが、家族への感謝の気持ちはいっぱいです。
     自分の個人的な事情をこれ以上、具体的に書くことは控えますが、幼少期からの体験がスクールソーシャルワーカー(SSW)という仕事をしようというきっかけになりました。2000年を迎える頃、日本ではスクールソーシャルワーカーという職業は山下英三郎先生が実践を始められたのが唯一という時に、その存在を知ることができ、夢に向けて進むことができました。それが先日、公開研修会の講師としてきてくださった倉石哲也先生との出会いでもあります。
     倉石先生がおられる武庫川女子大学には臨床教育学研究科という夜間大学院があります。臨床教育学という分野で修士課程を置いている大学は国内でも数校しかありません。そしてこの学問がまさにわたしの仕事にぴったり当てはまる大変実践的な学問です。心理・教育・福祉の3分野の専攻があり、その3領域の勉強を進めながら自分の専門のゼミに進みます。修士課程を修了してからも、同期や先輩たち、そして先生方との交流があり、時には先生方のスーバービジョン(SV)を受けることができる、とても学生に優しい大学院です。大学院で行われる研修会や卒業後も続いている自主ゼミもあり、修了生が今でも学びの場を持ちながら、実践で活躍しお互い刺激をし合い、高め合える仲間がいる大学院だということが自慢です(大学院進学を考えておられる方はぜひ、ご検討ください!!)。
     少し横道にそれましたが、幼少期からの体験がベースにあり、スクールソーシャルワーカーという仕事をしながら、人と出会い、その人を尊重していくというかかわりを続けています。子どもの最善の利益を護っていくために、何ができるか、大変難しい仕事ですが、自分にできることを丁寧にこれからもやっていければと思います。

     

    竜王町教育委員会 学校教育課 スクールソーシャルワーカー
    社会福祉士・臨床発達心理士・特別支援教育士・公認心理師

     

    岨中庸子

     

     

     

    | 会員エッセイ | 08:35 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    発達相談の仕事に人生の大半の年月を重ねて
    0

       

      平野美香

      大津市子ども発達相談センター 発達相談員

                                         

       

       大津市の発達相談員として採用され、それ以前の職場での相談業務の年月を加算すると、すでに人生の大半を相談業務に費やしてきたことに今更ながら驚いています。心理専門職を、市職員として採用している地方自治体は、当時、珍しいものでしたし、さらに、早い時期から、「大津方式」として乳幼児健診の体制が充実し、早期対応のシステムが確立している自治体で、右も左もわからず、はたして十分な仕事ができるのかと、混乱と不安の日々であったことを懐かしく思い出します。

      それでも、同じ発達相談員だけではなく、保健師、小児科医、歯科衛生士、栄養士など、多職種との仕事が保障されていた職場であったことで、互いに、話し合い、連携しながら、独りよがりにならないように、子どもの発達を多面的にとらえ、親子をしっかりと支援していくための基礎を叩き込まれながら学ぶことができたと思います。また、乳幼児健診のみではなく、保健師さんとともに、時には家庭訪問で、また、園では、先生方も一緒に発達相談を繰り返し、「大津の子」を支える人たちとの協同の仕事によるさまざまな学び(失敗も後悔も含め)が、「発達相談のおもしろさ、奥深さ」として着実に手応えのあるものとなっていくことを感じたものです。

       

       子どもが幼いうちには、発達相談を喜んで受け入れる保護者が多いわけではありませんし、不安にさせるだけで、よけいなおせっかい、とも言われかねません。特に、健診後の相談で、発達の課題をお伝えしなければならない時は、ずいぶんしんどい思いもしましたし、この仕事に意味があるのか、自分は、本当にこんな仕事をしたかったのか、と思うことは幾度となくありました。

       それでも、お母さん達に、あの時、相談できてよかった、お世話になりました、と言ってもらえたり、相談を担当した子ども達に出会う機会があると、親子に教えられ、支えられて、仕事が続けられるのだ、この出会いに意味があるのだ、と思い返し、また、がんばろう、と仕事に向かうことの繰り返しで、気づけば、何年も過ぎていきました。

       

       市の保健センターから、療育教室、子育て総合支援センター等を経て、現在は、幼児から中学生までの相談に応じる子ども発達相談センターで仕事をしていますが、非常に幸運なことに、自治体職員の心理職であるため、長く働くことで、幼児期に相談をしていた親子に、再度、発達相談で会えるというすばらしい機会を得ることができています。

       

       幼児期は、保護者さんとの相談が中心でしたが、中学生ともなると、自分自身のことを、彼らなりに自分の言葉で語り、相談することができるようになっています。あの時、あんなに小さかったのに、走り回っていたのに、ろくにおしゃべりもしなかったのに…。背丈も大きくなって私の前に再来し、将来の不安や、生きにくさについてトツトツと語り、また、時折、非常に前向きで、奥深いことをポロリと話し、こちらの気持ちを強く動かします。若い発達のエネルギーにより、思いを共有することだけで、あっという間に成長していくことにも関心しますが、彼らが、誰よりも、人との親密な関係を求めていること、わかってもらいたいと強く願っていることがひしひしと伝わってきて、心の育ちの深まりに感銘を受けてしまいます。

       

       過去、言葉の遅れ、多動傾向、コミュニケーションの課題などと、情けないほどに、通りいっぺんの評価をしてしまっていた子らが、リアルに、それぞれの個性を持ってぶつかってくる姿に、たじたじとしてしまいますが、そこには、浅薄な発達の理屈や評価などを越えた本当の人間関係が存在しています。そう思わせるくらいの育ちを見せてくれたことに驚き、かつ、その成長した姿から、あらためて、子どもを信頼するべきであることを彼ら自身が身をもって教えてくれることに感謝する日々です。

       

       発達相談という場は、すべての親子が通るものではありませんし、それだけで、何かが大きく変わるものでもありません。そもそも、子どもを育む家族、園や学校の先生方などが彼らの育ちを直接的に支えているのですから。そんな中で、出会った保護者さんや子ども達にとって、少しでも、意味のある相談をしたいと願い続けていますが、やはり、最終的には、子どもの育つ力にかなうものはありません。また、保護者さんは、子育てに悩み、苦労しながらも、それぞれのやり方で子どもに向き合ながら、親子として、家族として、新しい段階に進んでいくことができるということも知ることができました。

       

       時を重ねて思うことは、出会った親子の将来を信じることが、相談のスタートであり、ゴールでもある、ということです。若い心理士の皆さんも、それぞれの相談の場で、四苦八苦、紆余曲折を繰り返しながら、かけがえのない発達相談の時間を積み重ねて欲しいと願っています。

       

       

       

       

       

       

       

      | 会員エッセイ | 06:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      合掌のこころ ―その2―
      0

        辻  敬

        (真宗木辺派本山錦織寺 参務・式務部長/真宗木辺派 善明寺 副住職

        臨床発達心理士)

         

         合掌は、古くから行われてきた、インドの礼儀作法の一つで、敬意を込めた挨拶の一種です。それが仏教にとり入れられ、仏への帰依の心をあらわすものとして、お参りするときの作法となりました。
         右手を仏(悟り)の世界、左手を私たち(迷い)の世界とされます。ですから、合掌は、両手を合わすことで、仏への帰依を示したり、仏と一つになり、心豊かで安心が得られということにもなります。
         合掌のもつ意味は、日常の挨拶や礼拝の作法のほか、感謝の「ありがとう」、お願いや依頼の「よろしくお願いします」、お詫びの「ごめんなさい」の意味もあります。人に向かって丁寧に合掌すると、「尊敬の念」を表します。食前食後の「いただきます」「ごちそうさま」は、食材になった生き物に対する感謝の気持ちです。
         手を合わせる姿には、こうした気持ちが込められているので、美しい姿なのだと思います。

         

         薬師寺執事の大谷てつじよう徹奘師の「幸せの条件〜『寄り添い合い』と幸せの関係〜」というコラム*に、これと同じようなことが書いてありました。東日本大震災の被災地訪問をくりかえしされていて、その中で感じられたことがまとめられています。 それは、「寄り添い合い」ということが、幸せを感じることの重要な要因であり、「寄り添い合える人・ものがある人は幸せである」「寄り添い合える人・ものの数と幸せ感は比例する」ということだそうです。『寄り添い合い』の対象は、伴侶や親兄弟、友だち…等。人だけでなく、趣味や生きがい・夢といったことも入るでしょう。


         「寄り添う」を辞書的に言うと「そば近く寄る、相手の側に立って支えるようにする」です。ポイントは「合い」ですね。「互いに」ということですから、自分が「寄り添っている」と思っていても、相手は「寄りかかられている」と感じているなら『寄り添い合い』にはなりませんよね。人を相手にする、教師と子どもたち、心理士(相談員)とクライエントも、まさにその通りですね。
        コラムでは、いろいろある「寄り添い合い」の中でも、「合掌」こそが「理想の姿」だとしています。合掌した手を離してみると、それぞれが自立している。合掌は、「左右が自立しながらも寄り添い合っている」わけで、これこそ理想の姿だということです。確かに、どちらかに傾いた合掌は決して美しく見えないですよね。


         自分が寄り添い合っていると思う人(こと)を思い浮かべてみませんか。思い浮かべてみて、どうですか?。合掌の形は…、まっすぐですか、傾いていませんか?。もし傾いているかなと思ったら、是非早いうちに関係の改善を図ってください。
        *仏教情報センターの広報誌「仏教ライフ(120号)」

         

        ps.法話的なまとめ…
         では、「右手が仏様で…、左手が自分で…」と考えるとどうでしょう?。
        「仏様」は、「必ず救うぞ」と誓ってくださっていますから、しっかりと思いを寄せて下さっています。でも、まだまだ未熟な私の場合は…、きっと左に傾いているのではないかなと思います。きれいな形の合掌になるように、しっかり信心をいただきたいものです。

        | 会員エッセイ | 14:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        合掌のこころ −その1−
        0

           

                                       辻 敬

                (真宗木辺派本山錦織寺 参務・式務部長/真宗木辺派 善明寺 副住職

                                       臨床発達心理士)
           

            2015年3月に、36年の養護学校での教員生活を終えたのですが、その年から、始まったことと始めたことがありました。

           

            一つは、お寺のことは父に任せきり(というより、お手伝い程度の意識でしたから)でこれまでほとんど上山することのなかった本山に、お誘いを受けて寄せていただくことになったことです。内局といって、宗務の運営を行う部局(内局)に最低月に3日、ちょこっと…ということだったのですが、その実段々と…ズルズルと…と、まあよくあることですね。考えてみれば士会のことも…。「求めることよりも、求められることを」というのも大切なことかもしれませんね。

           

            もう一つは、自坊で「寺子屋」を始めたことです。一般には「日曜学校」というのでが、土曜日にすることにしましたし、学校というのもなあということで。

            最近は、以前に比べてお寺にお参りされる方も減ってきていて、「お寺は、年をとってからつきあうものだ」「家のだれかが代表して行けばいい」というような雰囲気も感じられます。お寺自体も昔と違って開放的な感じではなくなっていて、特に、子どもたちが境内で遊ぶということも見られなくなっています。20年ほど前にみなさんのお力で本堂を新築していただいたのですが、逆に、「かしこうしてへんし、子どもはお寺に行ったらあかん」というようなところも感じられます。

            そこで、子どもたちに来てもらって、のちのちに、「子どもの頃お寺に遊びに行ってたな」といった思い出の一つにでもなればという思いでした。もちろん、まだきれいな今のうちにもっといろんな形で本堂を活用してもらいたいということもありました。

           「幼稚園から小学校」を対象にすると、門徒数20数軒で該当者は8名でした。少子化ですねえ。そのうちの7名で、夏休みからスタートとしました。このごろの子どもたちは大変です。「塾だ、スポーツ少年団だ」と毎日忙しくて、休みなしです(親の方も)。特に、4年生ぐらいになると、スポーツ少年団の方へとなります。そんなこともあって、今は3名となっています。

           原則的に、毎月1回第2土曜日、夏休みは原則金曜日に行っています。一応、9時半〜12時です。内容は、お焼香から始めて、お勤め(正信偈か偈文-2、3分の短いお勤め-、仏教讃歌)−勉強(宿題)−遊び−お楽しみ(調理、お菓子作り、季節の野菜などを収穫してそれを使っての…<食育>:順序は状況でかわります)です。

           はじめの頃は、お数珠の持ち方も、手のあわせ方もわからないようで、お数珠も経本も、すぐに畳の上へでした。特にお勤めの時は、すぐに立ち歩いたり寝転んだりと、ガチャガチャしていました。そのうち、3・4年生を中心にまとまりを見せてくるのですが、まあ、なかなか大変です。養護学校の子どもたちの方がよほど“かしこい”と思います。

           みんなおじいちゃんおばあちゃんがいるのですが、別棟で暮らしているということもあるのか、仏事に関することはあまり見知っていないようです。ましてや、一緒にお内仏にお参りするというのもままならないのでしょうね。ですから、「こうこうやからこうするんや」という話はもちろんのこと、「形の上での“相続(伝えていくこと)”」もできていないのだろなあと思います。

           

           そんなガチャガチャの状況の中で…、2年生の男の子のことです。友だちとやんちゃするのが目立っていて、お勤めの時も落ち着きなくうろうろしがちだったのですが、寺子屋を始めて1年もたたないくらいのときに、ひいばあちゃんが亡くなりました。その中陰中に、お勤めの席に顔を出して、みんなに経本を配ったりしていました。さらに、正信偈をお勤めする声もしっかり聞こえきて、お寺で見せていた様子とは違った姿で、「あれっ?」と同時に「へえー、すごいなあ」と感心しました。「寺子屋のおかげ」と言っていただいたのですが…、苦笑いでした。あまり伝わっていないように思えて、実はそれなりに…ということですか。

           「わかる、わからない」で考えずに、仏事も含めて、何でも一緒にするということは大切なことですね。それと、小さいときから、何かしら畏敬の念を抱くものを感じることは、<情操>という意味でも、大切なことではないかと思います。

           

           もう一人、始めたころは年長さんだった2年生の女の子のことです。正信偈は勤められる(読める)ようになってきているのですが、お焼香の時は、照れがあるのか、合掌も礼拝も、いつもチャラけてしまいます。ですが、最近、ふとした時に、まじめに(?)手を合わせている姿を見せてくれました。「右仏 左我とぞ 合わす手の 声ぞゆかしき 南無のひと声」という歌(御詠歌)がありますが、その時は、まさに、その「ゆかしい」「心がひかれる」ような思いを持ちました。(つづく)

           

           

          | 会員エッセイ | 08:30 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          子どもの世界への眼差し―「いじめ」対策から考えること・思うこと
          0

             

                              臨床心理士 山内真澄

             

             子どもが生き生きと生きる社会ってどういうものなのだろうか。子どもが子どもらしく育つ社会に必要なことは何だろうか。

             

             子どもは子ども同士で遊び生活する中で、多くのことを経験している。

             

             6月、畦道で網を構える子どもたち。ザリガニ、アメンボ、カエル、おたまじゃくし、カブトエビ、様々な生き物を探している。しゃがんでじっと水面を見つめたり、生き物が逃げていくのをカエルのように追いかけたり、網を構えてゆっくりと近づいたり、周りも気にせず夢中になっている。その一方で、「その網貸して」「やった、捕まえた」「そこそこ」などと他の子どもとのやりとりがある。時には、人の網を奪い取って喧嘩が始まったり、捕まえた生き物を逃がされて悔しすぎて怒って叩いたり、言い合ったりする。それを仲介しようとしたり、黙って見ていたり、そのようなことは意に介さず自分の好きなことをしている子どももいる。言い合ったら、そのあとはケロっと笑い合っていたり、悔しい気持ちのまま遊びに戻っても再び生き物を捕まえた時には、その気持ちがどこかに吹っ飛んでしまっていることもある。

             子どもたちは自分だけの世界に没入することもあれば、他者との関わりをもつ世界に浸ることもあり、その両方の世界を絶えず行き来しながら生活している。その中で、嫌な思いも経験するが、夢中になるワクワク感、捕まえたときの満足感、子どもたち同士で笑い合う楽しさも経験する。その様々な経験の連続性が人と人とが共に生きることをそれなりに良いものと感じることに繋がっていくのだと思う。

             

             ある公園の一場面。

             低学年の子どもから高学年の子どもまで、何人かの男女の小学生たちがいた。高学年の女の子が蹴ったボールが低学年の男の子に当たる。その時の反応に違和感を覚えた。

             「ごめんな。ほんまにごめんな」と女の子は何度も謝る。「ボールでやり返してもいいで。ほんまにごめんな」と続く。「お母さんに言ってもいいからね。先生に言ってもいいからね。ほんまにごめんな」と謝罪はさらに続いていった。

             子どもたちが集まる場ではよくある他愛もない場面。この子どもの反応を皆さんはどのように感じるだろうか。

             

             私は滋賀県の大津市に住んでいる。大津市は、中2生がいじめを苦に自殺したことを機に「大津市子どものいじめの防止に関する条例」を施行し、市長部局にいじめ対策推進室を設置した。それが2013年2月のことである。国がいじめに関する法律「いじめ防止対策推進法」を作る直前のことだった。いじめ対策推進室の相談調査専門員として私は昨年度まで3年間働いた。

             いじめの定義は変遷を重ね、現在は「相手が嫌な思いをしたらいじめ」と捉えられている。いじめ対策は、いじめの早期発見早期対応のために、学校現場の教員、保護者、地域の人たち、そして子どもたちに、子どものどんなトラブルでも「いじめ」として認識するよう求めるようになった。

             

             こうして、「砂場で砂をかけた」「馬鹿と言った」「蹴られて蹴り返した」など子どもなら日常で起こるであろう数々のトラブルが、「いじめ」として捉えられるようになっていった。教員、保護者、地域の大人たちが、子どもたちの生きる世界から「嫌な思いをする出来事」を抽出しようとすると、その連続性の中にある楽しい、心地よいと思えるような人との関係も奪い去ることになる。「嫌な思いをする出来事」を探し出す大人の眼差しは、子どもが人との関係を育んでいくことを臆病にさせ、生き生きと紡ぎ出す子どもたちの世界を狭めることになっているように見える。

             

            先ほどのボールをぶつけた他愛ない一場面、子どもがボールをぶつけてしまった反応としてはあまりに過剰である。この場面で起こったことも「いじめ」として捉えられることを子どもはわかっているのだろう。子どもたちは日々大人から「いじめはいけない」ことを教えられ、そのことを頭ではわかりすぎている。

            子どもたち同士の世界で起こったその場での出来事は多くの場合、子ども同士の関係性で修復することが可能であるが、背後に大人からの叱責を想定したり、罪悪感を感じたり、その場での関係性が二の次になっていたりするように見える。子どもたちにとって「いじめは日常生活の中でけっして起こしてはいけないもの」になっている。ここで使われる「いじめ」という言葉は、日常のトラブルのことだ。つまりは「日常生活の中でトラブルはけっして起こしてはいけないもの」になっているということだ。

             

             最近、自分がしたことが「いじめ」になっているのではないかと恐れる子どもの声を聴くようになった。初めてそのことを聴いたとき、私自身とても戸惑った。自分が悲しい辛い思いをしたというのではなく、友だちとの関係がうまくいかないというのでもなく、自分のやったことが「いじめ」になっていないかという他者からの評価を恐れている。その場にあるそこでの関係性ではなく、それを見る眼差しに焦点が当たっている。そして、先生や親には伝えたくないと言うのだが、身近な大人に伝えたくない子どもはとても多い。子どもたちがよくあげる伝えたくない理由は「すぐに親に言うから」「すぐに先生に言うから」である。「迷惑をかけたくない」と言う子どももいる。友人とトラブルがあったら先生から保護者にそのことを言われ、友人との関係で悲しい思いをして帰ってきたら保護者が心配して先生に伝えることを子どもはよくわかっている。お互いの思いが煮詰まっていないのに謝罪をさせられたり、クラスで大きく取り上げられたり、望んでいないのに親同士の謝罪の場を設定したり、親が勝手に相手の子どもの親のところに言いにいったりして、子どもたち同士の世界を壊されることに子どもたちは困っているのだ。自分の話をただ聴いてほしい、受け止めてほしい、大ごとにしたくないという時にもその思いは受け止められない。受け止めてもらったら、またそこから子どもたち同士の関係性の中に戻っていこうとしているそんな時にも、大人たちは子どもたち同士の関係や世界に介入しようとしてしまう。

             

             子どもの声が聴こえてこない大人たちは「先生と親が一体となって子どもを守る必要がある」「こんなに連携しているのに」「大人たちはみんなあなたのことを心配しているのだ」と子どもに対する自身の行為に疑問を挟む余地さえない。

             

             大人たちはいじめ対策を早期発見におき、子どもたちにも周りの大人に伝えるように相談体制を整え、「周りの大人はあなたの味方だよ。だから何でも言いなさい」と言う。しかし、子どもの世界から見えるのは、なんでもかんでも大ごとにしてしまう大人であり、自分の気持ちをしっかりと受け止めてくれない大人である。本当に苦しい時、そのような大人に子どもは助けを求めはしない。

             

             そもそも大人たちは子どもの痛ましい事件に胸を痛め、子どもたちを守ってやりたいと思っている。しかし、子どもを守る対策が、その痛ましいことが起こらないようにという点にばかり注がれ場当たり的なものとなり、子どもたちが生き生きと生きる社会を想定できていないことが多い。そのために様々な対策に身を乗り出すのだが、その対策は子どもたちが失敗を恐れ、人との関係を恐れ、世界が狭められていくものになっている。私たちはもっと子どもたちの声に耳を傾けてもいいのではないだろうか。大人がそこでの子どもとの関係性を大事にして子どもの話を聴こうとすれば、子どもはよく話すものなのだから。

             

             子どもたちが紡ぎ出すのびやかで自由な世界を認めることが、私たちにとってどうしてこれほどまでに難しいのだろう。

             

             

             

            | 会員エッセイ | 05:08 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            問われるのはおとなの主体性―支援実践をめぐって考えること
            0

                    湖東広域衛生管理組合 児童発達支援事業  愛犬つくし教室 小澤美早子

                                          (臨床発達心理士)

               

               湖東地域の愛知郡・犬上郡には四つの小さな町があり、私はその四つの町が合同で設置している児童発達支援事業所に勤務しています。発達支援を要する就学前の子どもと保護者への直接支援が主な仕事ですが、通所児が併行通園している保育所や幼稚園へ訪問して、先生方と一緒に通所児への支援を考えることも大切な業務の一つです。

               

               5月の連休明けから、今年度の保育所や幼稚園への訪問が始まったのですが、園の先生方のお話を伺う中で、とても気になることがありました。保育指針や幼稚園教育要領の改訂で「主体性」を育てる保育が強調されるようになり、ある園では主体性を育てるため、クラス全体が集まる機会を減らし、制作活動などにおいても一斉指導を行わないようにという指示が出たそうです。ある先生は、子どもの姿が良い方向に変化しているようには見えず、本当にそのような保育の進め方で良いのかもやもやした気持ちで過ごしていると話されていました。疑問を感じている先生方は多いそうですが、会議等で疑問を投げかけても「このやり方で進めるように」と言われるのみで、今ではこのことに関する意見は出なくなったとのことでした。

               「主体性」をどのような取り組みの中で育てて行くのかという点については、今後様々な実践を通して検討を重ねることが必要ですが、私が気になったのは、保育士の先生方がこのままで良いのかという疑問を持っているにも関わらず、職場内でそのことが議論されることなく、「もやもや」した気持ちを抱えたまま、日々子どもたちに関わっているという点でした。これは、子どもたちにとっても、先生方にとっても、望ましくない状況だなと感じました。

               児童発達支援の分野でも、○○プログラムなど目新しい療育方法が次々に出てきては消えています。「Aちゃんは自閉症だからカードを使った方がいいんですよね?」と相談されることがよくありますが、○○障害の子どもには△△法が良いと当たり前のように適用するのではなく、日々の様々な場面で見られる子どもの姿から取り組みの内容は検討される必要があると思います。国から示された指針や要領を読み解いたり、研修等で示された実践を自分たちの取り組みに取り入れる際には、形だけを取り入れるのではなく、自分たちが関わっている子どもたちの姿から、どのような取り組みが良いのか考える姿勢がなければいけないのではないかと改めて考えさせられました。研修等で得た知識、実践を通して得た自身の保育観(療育観)、そういったものを駆使して、定期的に自分たちの取り組みを振り返り、子どもたちにとってより良い取り組みについて、職員同士で十分議論していくことができるように努力していきたいと思っています。

               

               当事業所では、管内の保育所・幼稚園の先生方と、一つの事例をもとに議論したり、講師からスーパーバイズを受けたりする勉強会を定期的に行っているのですが、徐々に事例を出して下さる園が減ってきています。講義形式の研修は参加者も多いのですが、事例検討の形式では参加者が少なくなるという現状もあります。日々の業務が忙しく、自分たちの取り組みを振り返ってまとめたり、議論し合うことにエネルギーを向けるのはなかなか大変ですが、仲間が増えると頑張る意欲もわいてくるかと思い宣伝させていただきます。このブログを読んで、勉強会に興味を持たれた方がおられましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。

               

               

              | 会員エッセイ | 12:20 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              2018年2月、雪の湖岸で・・・
              0

                 

                 寒い日が続きます。北部ではしっかり雪がつもり、あちこちで大人の手による本気の雪だるまが生まれています。


                 先日、当支部では、新版K式発達検査についての研修会がありました。新版K式発達検査実施の基本をご講演くださいました大島剛先生(神戸親和女子大学)、事例検討のために資料をまとめてくださった滋賀支部会員のお二人に、心より感謝申し上げます。また、とても寒い中ご参加くださった先生方、活発に論議いただき、ありがとうございました。当該分野の研究者から講義を受けることは、新しい知識や視点を得られることが多く、またすでに知っていたつもりでいたことであっても、改めて整理し直したり意味づけし直したりでき、とても大事な学びの場であると思います。また、今回の研修では、支部会員のお二人が事例をまとめてくださり、それをもとに皆で論議する機会を持つことができましたが、こちらの場合は自分の経験や知識を総動員して、相手に「どうでしょうか」と披露することになります。自分の考えを形にしてまとめ、ことばにして相手に伝えて意見をもらうことは、「応用編」のような難しさを感じます。講義を受けたあと、質問ができる力が大切と聞いたことがありますが、それと同じなのかなとも思います。難しいけど、大切な場だな…と参加者の一人として改めて感じました。

                 
                 話は全く変わるのですが、雪の湖岸でふと思ったことを書いてみようと思います。はじめに書いた「本気の雪だるま」です。

                 犬の散歩で、雪の積もった琵琶湖の浜辺を歩いていたら、そこそこ雪が積もった日には、本気の雪だるまが本当に2〜3体現れていました。子どもがせがむのでしょうが、作っているうちに大人の方が本気になるのでしょう。大きくできあがった胴体部分にお母さんと思われる方がよじ登り、頭部分を作っているお父さんや子どもを見下ろして「どうだ」とはしゃいでいる姿も見られました。別の「本気の雪だるま」は、胴体部分がなんと大人一人が入れるほどのかまくらに改造されていました。また、「本気のそりすべり台」も出現します。幼い子どもにとってはそこまで大きくなくても…と思うほどのものです。

                 あと、意外に感じるのが「雪の上を自転車で走りたい大人がいる」ということです。自転車の腕前を上げたいついでに、転ぶことも楽しんでいるようでした。雪が積もった浜辺には、たくさんの水鳥の足跡と、散歩した犬の足跡の他に、雪だるまが作られた跡や自転車の跡という大人が本気で遊んだ痕跡がたくさん残っています。

                 これまで私は、子どもたちの「あそび」の中で現れる「本気」は、「学びの原動力」につながるように感じてきました。子どもよりもたくさん学んできた大人が、まだ「雪遊びに本気になれる」ということに、少し不思議さを感じます。「童心を忘れない大人」だからできることなのでしょうか…?

                 

                 少し考えてみたのですが、きっと多くの大人が「本気で遊びこむ力」をもっているのだろうという結論に達しました。

                 ということは、大人もまだまだ「学びの原動力」を持っているということになるのか。私自身にも「つい本気になっちゃうような、知りたくて、やってみたくて、突き動かされるようなもの」があって、学びにつながるのかな?そうだといいなぁ、と思う雪の日の琵琶湖の浜辺なのでした。

                 

                 とりとめのない長文、失礼しました。

                 

                滋賀県立野洲養護学校 大城徳子

                 

                 

                | 会員エッセイ | 06:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                人は誰でも・・・
                0

                  丸澤由美子(独立行政法人 国立病院機構 鈴鹿病院 療育指導室 児童指導員)

                   

                    私は「重症心身障害児(者)病棟」に児童指導員として勤務しており、呼吸器を装着していたり、吸引ケアなどが頻回に必要だったりする人々と毎日一緒に過ごしています。

                   「どんなことをしているの?」とよく質問を受けます。病院で、医師は診療し、看護師は看護を、介護職は介護を…と、それぞれが専門分野に特化した仕事をしています。では、児童指導員とは何でしょう。実は、入院されている方々の発達に即した療育活動の検討(教育面)、当事者家族への支援や相談(心理面)、個別の福祉プランの作成(福祉)、身体機能改善に向けた支援(介護)等、多岐にわたります。「それで、結局何をしてくれる人なの?」と思われてしまうのですが、結局のところ、私は「患者さんの側から病院でできることを一番に考える人」だと思っています。患者さん一人、ひとりに寄り添い、「患者さんにとって、何が大切か?」を多角的に捉え、行動し、多職種と連携する人だと思っています。

                   病院ではどちらかというと高齢の方とのお付き合いが多い私には、月1回、子どもと触れ合う機会となる「みんなあつまれ」(成松祐子主宰)への参加がとても大切な時間となっています。「みんなあつまれ」は、発達に気がかりのある子どもが親子で参加する、参加自由、入退場自由、申込不要の気軽に参加できる子育ちサークルです。滋賀県立大学の交流センターの部屋をお借りして活動しています。月1回の土曜日、10時から12時の2時間の実施ですが、その間親子は離れて過ごします。保護者はその時々の思いや疑問、悩みを出しあい、お互いにアイデアや経験談を話す時間を持ちます。

                   子どもたちは、その間それぞれに「これがしたい!」という遊びをしながら、保護者のお迎えを待ちます。プラレールやままごと等の遊びが好きな子どもたちが多いのですが、一番人気は“ヒツジさん散歩”です。これは、滋賀県立大学内で実施しているという特色を活かした散歩です。滋賀県立大学の構内は、車の往来が少なく、子どもたちが安心して、子どもたちのペースでゆったりと歩くスペースがあります。また、さまざまな植物があり、動物にも出会えます。子どもたちにとっては、“不思議”なものやことがいっぱいです。環濠の近くを歩けば、「おさかないた!」「これ(近くの草)食べるかな?」と盛り上がり、共通講義棟の近くに行けば、「カモさん、いたよ」「アヒルさん、来たよ」と近くに寄って行き、いきなり発せられる鳴き声を聞いてびっくりしたりしています。環境科学部では、ヒツジさんを間近で見て、興味津々に近寄って、お友だち同士で「これどうぞ~(草)」と声をかけにいったりして大興奮しています。

                   職場で、ボランティアで、重度の障害のある方々や、軽度とはいえ発達に気がかりのある子どもたちと接している私は、ときどき、「障害ってなんだろう?」と考えます。重度の障害があっても、発達に気がかりがあっても、誰もがそれぞれに素敵な個性を持つ一人、ひとりです。重度の障害があっても、自分の気持ちを伝えたい思い、伝わらなくて困ったり、悩んだりしています。みんなと一緒に楽しいことをしたいとも思っています。発達に気がかりがある子どもたちも、散歩の途中で綺麗に咲いている花を見つければ、「ママにもっていく!」と摘んだり、動物たちに「あつくない?」と声をかけたりする姿が見られます。障害のある人たちも、自分以外の人、特に家族やお友だちに「喜んでもらいたい」「役に立ちたい」と思っています。そんな素敵な気持ちは、障害があっても、なくても、“みんな一緒”なんだと気づかされます。

                   障害があると、ともすれば、「○○スキルトレーニング」「○○療法」等、障害ゆえに足りない部分を補おうと訓練のような取り組みを行う傾向があります。しかし、「重度の障害があるから」「発達に気がかりなことがあるから」と足りない部分を補い、何かしらの訓練をしなければいけないということはないように思います。私がかかわっている集団の中では、みんながお互いに折り合いをつけながら育ち、活き活きとした姿を見せてくれています。そんな姿をみていると、それぞれの育ちを「見守り」「共有」しあうことが大切なのかもしれないと思えてきます。それぞれが日々を健やかに生きて活き活きと暮らせる場があることが、どの人にもあることが私の願いです。みんなが頑張りすぎなくても、自分らしさを活かし、認められながら生きていける環境を目指し、これからもさまざまな活動に取り組んでいきたいと思っています。

                   

                   

                  | 会員エッセイ | 10:34 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  『聞く』ことと『聴く』こと
                  0

                    岡村律(滋賀県立八日市南小学校ことばの教室)

                     

                     働きだして、15年近くたつ。

                     初めての職場は利用者さんの話を『聴く』ことが仕事の一つであった。先輩から「『聞く』ではなく『聴く』ことをしてください」と言われた。

                     そもそも『聞く』ことと『聴く』ことはどう違うのか。どちらの漢字にも『耳』がある。しかし、部首が「もんがまえ」と「みみへん」と異なっており、一文字中に占める「耳」の大きさが違う。今、この原稿を打っているパソコンの漢字変換時に提示される辞書には、それぞれの意味が『聞く:〔一般的〕』、『聴く:〔限定的〕身を入れてきく』とされている。

                     

                     初めての職場は自分の思いをなかなかことばにすることができない人たちと時を過ごす場であった。利用者さんに言われたことがある。「私はあなたに意見を求めていない。ただ、話をきいてほしい」と。自分なりに聴いているつもりが、聞いていたのだ。
                     心と頭にズドン!と響いた。その方の思いを聴いて言語化したのではなく、私自身の理解を言葉にしたものを返してしまっていたのだ。それからは「どう思う?」と意見を求められた時に「私は、こう思う」と伝えるようになった。

                     

                     その後、今の職についた。
                     子どもに直接指導をするとともに、保護者に寄り添い少し先の未来を見つめながら今していくことを伝える仕事である。結婚も子育ても経験したことがない私は、子ども寄りになることが多かったが、保護者面談をしていく中で、保護者も悩み、とまどい、立ち止まり、前へ進んで、子どもが年齢を重ねるように、親としての年齢を重ねているのだと気づいた。それは『聴く』ことを繰り返すことで気づけたことである。

                     

                     最近は『きいてほしい』と面談を希望される保護者が多い。話の内容は、担当している子どもの生活習慣のことから、きょうだい関係、きょうだいの悩みなど様々である。保護者は「何とかしたいけど、何をどうしたらいいのか、わからない」という状態をグルグル繰り返している方が多い。ことばでうまく表現できない方もいるため、気になることを付箋に書いてきてもらうことをする。

                     同じ内容でもいいので、付箋一枚につき一つの内容。これを一週間してもらうと、保護者が言いたい内容が出てくる。その内容を詳しく『聴き』、どうすればよいかを一緒に考えていく。その繰り返しをすることで、保護者が前に進むことができ、そのことが子どもへのかかわり方の変化へとつながっていく。保護者自身が子どもの話を『聴こう』とし、子どもにきこうとしてくれるのだ。
                     就学直前や就学後に保護者自身が変化に気づくことが多く、その変化が保護者の自信になっているという話もきく。そういう話を『聞く』ととても嬉しい。

                     

                     元来話をすることが好きな私。

                     『聴く』ことが苦手という自覚もある。ついつい言いたくなるのだ。
                     それでも『聴く』ことが次の一歩へとつながる。

                     

                     これからもいろいろな出会いを楽しみに、『聴く』ことをしていきたい。

                     

                     

                    | 会員エッセイ | 09:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    子どもの声を聴いて社会に繋ぐ
                    0

                      山本千華子(大津市市民部 文化・青少年課 いじめ対策推進室相談調査専門員、臨床発達心理士)

                       

                       【おおつっこホットダイヤル】は、いじめに関する子どものための相談ダイヤルです。その電話番号を子どもたちに知ってもらうために、学校を通じて電話番号記載のカードを配布してもらったり、不定期の通信を発行したり、無料手紙相談を配布したりしています。

                       【おおつっこホットダイヤル】に寄せられた相談には、《おおつっこ相談チーム》が対応します。《おおつっこ相談チーム》は、市民部いじめ対策推進室所属の相談調査専門員から成るチームです。

                         子どもたちの悩みは様々です。もちろんいじめや友達関係で辛い思いをしているという相談が過半数ですが、それ以外にも教師の指導上の問題、家庭の経済的な問題、進路の問題、家族の問題、特別支援教育的課題等、子どもの抱える問題の背景には様々な要因が含まれています。

                       《おおつっこ相談チーム》が一番大切にしていることは、「子どもの声を聴く」ということです。子どもの問題を親や教師や行政の視点から見ず、子どもの視点に立ち、子どもが解決したいように支援する、ということです。

                        もちろん親御さんからの相談も受けます。親御さんから相談を受けたときにも必ず当事者である子どもさんの話を直接聴かせていただけるようお願いします。

                        たとえば、不登校の問題。子ども同士のトラブルや教師の指導上の問題で登校しづらくなった場合、親御さんと学校の対立が激しくなり、その間に挟まった子どもの声が誰にも届かなくなっている場合も少なくありません。親御さんから相談があった場合も、親御さんの相談担当とは別の子ども担当者が子どもの話をしっかり聴き、子どもと学校の関係を調整し(親と学校ではなく)、子どもが登校したい場合には子どもの登校を支援する。一方で親担当者は親の話を聴き、親と学校やその他の関係を調整する。親の問題と子どもの問題を別物と捉えて対応することで、子どもの問題が解決することも少なくありません。もちろん、そう簡単に解決に至らない事案もあります。また、《おおつっこ相談チーム》は事案をチームだけで解決するわけではありません。 

                        大津市では、平成25年度のいじめ対策推進室新設と共に、常設の第三者機関《大津の子どもをいじめから守る委員会》が設けられました。子どもの権利に詳しい弁護士や子どもの発達に詳しい心理士、関係調整に詳しい心理士等、五人の委員に就任いただいてます。

                       《おおつっこ相談チーム》は個々の子どもの支援に力を尽くします。そして、毎週開催される委員会には個々の事案から見えてくる学校問題や子ども行政の課題を議論し、解決の方向を市長に提言していく使命があります。

                         個々の子どもたちが抱える問題を、子どもの声を聴きながら子ども中心に解決することを目指し、それのみに留まらず、その問題が起こった社会的背景にも目を向け是正を目指す。《おおつっこ相談チーム》と《大津の子どもをいじめから守る委員会》はそんな大志を抱いて活動しています。

                       

                       

                      | 会員エッセイ | 07:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP