日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
地域の皆さんとの交流をめざしています。
CALENDAR
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
合掌のこころ −その1−
0

     

                                辻 敬

         (真宗木辺派本山錦織寺 参務・式務部長/真宗木辺派 善明寺 副住職)
     

      2015年3月に、36年の養護学校での教員生活を終えたのですが、その年から、始まったことと始めたことがありました。

     

      一つは、お寺のことは父に任せきり(というより、お手伝い程度の意識でしたから)でこれまでほとんど上山することのなかった本山に、お誘いを受けて寄せていただくことになったことです。内局といって、宗務の運営を行う部局(内局)に最低月に3日、ちょこっと…ということだったのですが、その実段々と…ズルズルと…と、まあよくあることですね。考えてみれば士会のことも…。「求めることよりも、求められることを」というのも大切なことかもしれませんね。

     

      もう一つは、自坊で「寺子屋」を始めたことです。一般には「日曜学校」というのでが、土曜日にすることにしましたし、学校というのもなあということで。

      最近は、以前に比べてお寺にお参りされる方も減ってきていて、「お寺は、年をとってからつきあうものだ」「家のだれかが代表して行けばいい」というような雰囲気も感じられます。お寺自体も昔と違って開放的な感じではなくなっていて、特に、子どもたちが境内で遊ぶということも見られなくなっています。20年ほど前にみなさんのお力で本堂を新築していただいたのですが、逆に、「かしこうしてへんし、子どもはお寺に行ったらあかん」というようなところも感じられます。

      そこで、子どもたちに来てもらって、のちのちに、「子どもの頃お寺に遊びに行ってたな」といった思い出の一つにでもなればという思いでした。もちろん、まだきれいな今のうちにもっといろんな形で本堂を活用してもらいたいということもありました。

     「幼稚園から小学校」を対象にすると、門徒数20数軒で該当者は8名でした。少子化ですねえ。そのうちの7名で、夏休みからスタートとしました。このごろの子どもたちは大変です。「塾だ、スポーツ少年団だ」と毎日忙しくて、休みなしです(親の方も)。特に、4年生ぐらいになると、スポーツ少年団の方へとなります。そんなこともあって、今は3名となっています。

     原則的に、毎月1回第2土曜日、夏休みは原則金曜日に行っています。一応、9時半〜12時です。内容は、お焼香から始めて、お勤め(正信偈か偈文-2、3分の短いお勤め-、仏教讃歌)−勉強(宿題)−遊び−お楽しみ(調理、お菓子作り、季節の野菜などを収穫してそれを使っての…<食育>:順序は状況でかわります)です。

     はじめの頃は、お数珠の持ち方も、手のあわせ方もわからないようで、お数珠も経本も、すぐに畳の上へでした。特にお勤めの時は、すぐに立ち歩いたり寝転んだりと、ガチャガチャしていました。そのうち、3・4年生を中心にまとまりを見せてくるのですが、まあ、なかなか大変です。養護学校の子どもたちの方がよほど“かしこい”と思います。

     みんなおじいちゃんおばあちゃんがいるのですが、別棟で暮らしているということもあるのか、仏事に関することはあまり見知っていないようです。ましてや、一緒にお内仏にお参りするというのもままならないのでしょうね。ですから、「こうこうやからこうするんや」という話はもちろんのこと、「形の上での“相続(伝えていくこと)”」もできていないのだろなあと思います。

     

     そんなガチャガチャの状況の中で…、2年生の男の子のことです。友だちとやんちゃするのが目立っていて、お勤めの時も落ち着きなくうろうろしがちだったのですが、寺子屋を始めて1年もたたないくらいのときに、ひいばあちゃんが亡くなりました。その中陰中に、お勤めの席に顔を出して、みんなに経本を配ったりしていました。さらに、正信偈をお勤めする声もしっかり聞こえきて、お寺で見せていた様子とは違った姿で、「あれっ?」と同時に「へえー、すごいなあ」と感心しました。「寺子屋のおかげ」と言っていただいたのですが…、苦笑いでした。あまり伝わっていないように思えて、実はそれなりに…ということですか。

     「わかる、わからない」で考えずに、仏事も含めて、何でも一緒にするということは大切なことですね。それと、小さいときから、何かしら畏敬の念を抱くものを感じることは、<情操>という意味でも、大切なことではないかと思います。

     

     もう一人、始めたころは年長さんだった2年生の女の子のことです。正信偈は勤められる(読める)ようになってきているのですが、お焼香の時は、照れがあるのか、合掌も礼拝も、いつもチャラけてしまいます。ですが、最近、ふとした時に、まじめに(?)手を合わせている姿を見せてくれました。「右仏 左我とぞ 合わす手の 声ぞゆかしき 南無のひと声」という歌(御詠歌)がありますが、その時は、まさに、その「ゆかしい」「心がひかれる」ような思いを持ちました。(つづく)

     

     

    | 会員エッセイ | 08:30 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    問われるのはおとなの主体性―支援実践をめぐって考えること
    0

       湖東地域の愛知郡・犬上郡には四つの小さな町があり、私はその四つの町が合同で設置している児童発達支援事業所に勤務しています。発達支援を要する就学前の子どもと保護者への直接支援が主な仕事ですが、通所児が併行通園している保育所や幼稚園へ訪問して、先生方と一緒に通所児への支援を考えることも大切な業務の一つです。

       

       5月の連休明けから、今年度の保育所や幼稚園への訪問が始まったのですが、園の先生方のお話を伺う中で、とても気になることがありました。保育指針や幼稚園教育要領の改訂で「主体性」を育てる保育が強調されるようになり、ある園では主体性を育てるため、クラス全体が集まる機会を減らし、制作活動などにおいても一斉指導を行わないようにという指示が出たそうです。ある先生は、子どもの姿が良い方向に変化しているようには見えず、本当にそのような保育の進め方で良いのかもやもやした気持ちで過ごしていると話されていました。疑問を感じている先生方は多いそうですが、会議等で疑問を投げかけても「このやり方で進めるように」と言われるのみで、今ではこのことに関する意見は出なくなったとのことでした。

       

       「主体性」をどのような取り組みの中で育てて行くのかという点については、今後様々な実践を通して検討を重ねることが必要ですが、私が気になったのは、保育士の先生方がこのままで良いのかという疑問を持っているにも関わらず、職場内でそのことが議論されることなく、「もやもや」した気持ちを抱えたまま、日々子どもたちに関わっているという点でした。これは、子どもたちにとっても、先生方にとっても、望ましくない状況だなと感じました。

       

       児童発達支援の分野でも、○○プログラムなど目新しい療育方法が次々に出てきては消えています。「Aちゃんは自閉症だからカードを使った方がいいんですよね?」と相談されることがよくありますが、○○障害の子どもには△△法が良いと当たり前のように適用するのではなく、日々の様々な場面で見られる子どもの姿から取り組みの内容は検討される必要があると思います。国から示された指針や要領を読み解いたり、研修等で示された実践を自分たちの取り組みに取り入れる際には、形だけを取り入れるのではなく、自分たちが関わっている子どもたちの姿から、どのような取り組みが良いのか考える姿勢がなければいけないのではないかと改めて考えさせられました。研修等で得た知識、実践を通して得た自身の保育観(療育観)、そういったものを駆使して、定期的に自分たちの取り組みを振り返り、子どもたちにとってより良い取り組みについて、職員同士で十分議論していくことができるように努力していきたいと思っています。

       

       当事業所では、管内の保育所・幼稚園の先生方と、一つの事例をもとに議論したり、講師からスーパーバイズを受けたりする勉強会を定期的に行っているのですが、徐々に事例を出して下さる園が減ってきています。講義形式の研修は参加者も多いのですが、事例検討の形式では参加者が少なくなるという現状もあります。日々の業務が忙しく、自分たちの取り組みを振り返ってまとめたり、議論し合うことにエネルギーを向けるのはなかなか大変ですが、仲間が増えると頑張る意欲もわいてくるかと思い宣伝させていただきます。このブログを読んで、勉強会に興味を持たれた方がおられましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。

       

      湖東広域衛生管理組合 児童発達支援事業

      愛犬つくし教室 小澤美早子

      | 会員エッセイ | 12:20 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      2018年2月、雪の湖岸で・・・
      0

         

         寒い日が続きます。北部ではしっかり雪がつもり、あちこちで大人の手による本気の雪だるまが生まれています。


         先日、当支部では、新版K式発達検査についての研修会がありました。新版K式発達検査実施の基本をご講演くださいました大島剛先生(神戸親和女子大学)、事例検討のために資料をまとめてくださった滋賀支部会員のお二人に、心より感謝申し上げます。また、とても寒い中ご参加くださった先生方、活発に論議いただき、ありがとうございました。当該分野の研究者から講義を受けることは、新しい知識や視点を得られることが多く、またすでに知っていたつもりでいたことであっても、改めて整理し直したり意味づけし直したりでき、とても大事な学びの場であると思います。また、今回の研修では、支部会員のお二人が事例をまとめてくださり、それをもとに皆で論議する機会を持つことができましたが、こちらの場合は自分の経験や知識を総動員して、相手に「どうでしょうか」と披露することになります。自分の考えを形にしてまとめ、ことばにして相手に伝えて意見をもらうことは、「応用編」のような難しさを感じます。講義を受けたあと、質問ができる力が大切と聞いたことがありますが、それと同じなのかなとも思います。難しいけど、大切な場だな…と参加者の一人として改めて感じました。

         
         話は全く変わるのですが、雪の湖岸でふと思ったことを書いてみようと思います。はじめに書いた「本気の雪だるま」です。

         犬の散歩で、雪の積もった琵琶湖の浜辺を歩いていたら、そこそこ雪が積もった日には、本気の雪だるまが本当に2〜3体現れていました。子どもがせがむのでしょうが、作っているうちに大人の方が本気になるのでしょう。大きくできあがった胴体部分にお母さんと思われる方がよじ登り、頭部分を作っているお父さんや子どもを見下ろして「どうだ」とはしゃいでいる姿も見られました。別の「本気の雪だるま」は、胴体部分がなんと大人一人が入れるほどのかまくらに改造されていました。また、「本気のそりすべり台」も出現します。幼い子どもにとってはそこまで大きくなくても…と思うほどのものです。

         あと、意外に感じるのが「雪の上を自転車で走りたい大人がいる」ということです。自転車の腕前を上げたいついでに、転ぶことも楽しんでいるようでした。雪が積もった浜辺には、たくさんの水鳥の足跡と、散歩した犬の足跡の他に、雪だるまが作られた跡や自転車の跡という大人が本気で遊んだ痕跡がたくさん残っています。

         これまで私は、子どもたちの「あそび」の中で現れる「本気」は、「学びの原動力」につながるように感じてきました。子どもよりもたくさん学んできた大人が、まだ「雪遊びに本気になれる」ということに、少し不思議さを感じます。「童心を忘れない大人」だからできることなのでしょうか…?

         

         少し考えてみたのですが、きっと多くの大人が「本気で遊びこむ力」をもっているのだろうという結論に達しました。

         ということは、大人もまだまだ「学びの原動力」を持っているということになるのか。私自身にも「つい本気になっちゃうような、知りたくて、やってみたくて、突き動かされるようなもの」があって、学びにつながるのかな?そうだといいなぁ、と思う雪の日の琵琶湖の浜辺なのでした。

         

         とりとめのない長文、失礼しました。

         

        滋賀県立野洲養護学校 大城徳子

         

         

        | 会員エッセイ | 06:40 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        人は誰でも・・・
        0

          丸澤由美子(独立行政法人 国立病院機構 鈴鹿病院 療育指導室 児童指導員)

           

            私は「重症心身障害児(者)病棟」に児童指導員として勤務しており、呼吸器を装着していたり、吸引ケアなどが頻回に必要だったりする人々と毎日一緒に過ごしています。

           「どんなことをしているの?」とよく質問を受けます。病院で、医師は診療し、看護師は看護を、介護職は介護を…と、それぞれが専門分野に特化した仕事をしています。では、児童指導員とは何でしょう。実は、入院されている方々の発達に即した療育活動の検討(教育面)、当事者家族への支援や相談(心理面)、個別の福祉プランの作成(福祉)、身体機能改善に向けた支援(介護)等、多岐にわたります。「それで、結局何をしてくれる人なの?」と思われてしまうのですが、結局のところ、私は「患者さんの側から病院でできることを一番に考える人」だと思っています。患者さん一人、ひとりに寄り添い、「患者さんにとって、何が大切か?」を多角的に捉え、行動し、多職種と連携する人だと思っています。

           病院ではどちらかというと高齢の方とのお付き合いが多い私には、月1回、子どもと触れ合う機会となる「みんなあつまれ」(成松祐子主宰)への参加がとても大切な時間となっています。「みんなあつまれ」は、発達に気がかりのある子どもが親子で参加する、参加自由、入退場自由、申込不要の気軽に参加できる子育ちサークルです。滋賀県立大学の交流センターの部屋をお借りして活動しています。月1回の土曜日、10時から12時の2時間の実施ですが、その間親子は離れて過ごします。保護者はその時々の思いや疑問、悩みを出しあい、お互いにアイデアや経験談を話す時間を持ちます。

           子どもたちは、その間それぞれに「これがしたい!」という遊びをしながら、保護者のお迎えを待ちます。プラレールやままごと等の遊びが好きな子どもたちが多いのですが、一番人気は“ヒツジさん散歩”です。これは、滋賀県立大学内で実施しているという特色を活かした散歩です。滋賀県立大学の構内は、車の往来が少なく、子どもたちが安心して、子どもたちのペースでゆったりと歩くスペースがあります。また、さまざまな植物があり、動物にも出会えます。子どもたちにとっては、“不思議”なものやことがいっぱいです。環濠の近くを歩けば、「おさかないた!」「これ(近くの草)食べるかな?」と盛り上がり、共通講義棟の近くに行けば、「カモさん、いたよ」「アヒルさん、来たよ」と近くに寄って行き、いきなり発せられる鳴き声を聞いてびっくりしたりしています。環境科学部では、ヒツジさんを間近で見て、興味津々に近寄って、お友だち同士で「これどうぞ~(草)」と声をかけにいったりして大興奮しています。

           職場で、ボランティアで、重度の障害のある方々や、軽度とはいえ発達に気がかりのある子どもたちと接している私は、ときどき、「障害ってなんだろう?」と考えます。重度の障害があっても、発達に気がかりがあっても、誰もがそれぞれに素敵な個性を持つ一人、ひとりです。重度の障害があっても、自分の気持ちを伝えたい思い、伝わらなくて困ったり、悩んだりしています。みんなと一緒に楽しいことをしたいとも思っています。発達に気がかりがある子どもたちも、散歩の途中で綺麗に咲いている花を見つければ、「ママにもっていく!」と摘んだり、動物たちに「あつくない?」と声をかけたりする姿が見られます。障害のある人たちも、自分以外の人、特に家族やお友だちに「喜んでもらいたい」「役に立ちたい」と思っています。そんな素敵な気持ちは、障害があっても、なくても、“みんな一緒”なんだと気づかされます。

           障害があると、ともすれば、「○○スキルトレーニング」「○○療法」等、障害ゆえに足りない部分を補おうと訓練のような取り組みを行う傾向があります。しかし、「重度の障害があるから」「発達に気がかりなことがあるから」と足りない部分を補い、何かしらの訓練をしなければいけないということはないように思います。私がかかわっている集団の中では、みんながお互いに折り合いをつけながら育ち、活き活きとした姿を見せてくれています。そんな姿をみていると、それぞれの育ちを「見守り」「共有」しあうことが大切なのかもしれないと思えてきます。それぞれが日々を健やかに生きて活き活きと暮らせる場があることが、どの人にもあることが私の願いです。みんなが頑張りすぎなくても、自分らしさを活かし、認められながら生きていける環境を目指し、これからもさまざまな活動に取り組んでいきたいと思っています。

           

           

          | 会員エッセイ | 10:34 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          『聞く』ことと『聴く』こと
          0

            岡村律(滋賀県立八日市南小学校ことばの教室)

             

             働きだして、15年近くたつ。

             初めての職場は利用者さんの話を『聴く』ことが仕事の一つであった。先輩から「『聞く』ではなく『聴く』ことをしてください」と言われた。

             そもそも『聞く』ことと『聴く』ことはどう違うのか。どちらの漢字にも『耳』がある。しかし、部首が「もんがまえ」と「みみへん」と異なっており、一文字中に占める「耳」の大きさが違う。今、この原稿を打っているパソコンの漢字変換時に提示される辞書には、それぞれの意味が『聞く:〔一般的〕』、『聴く:〔限定的〕身を入れてきく』とされている。

             

             初めての職場は自分の思いをなかなかことばにすることができない人たちと時を過ごす場であった。利用者さんに言われたことがある。「私はあなたに意見を求めていない。ただ、話をきいてほしい」と。自分なりに聴いているつもりが、聞いていたのだ。
             心と頭にズドン!と響いた。その方の思いを聴いて言語化したのではなく、私自身の理解を言葉にしたものを返してしまっていたのだ。それからは「どう思う?」と意見を求められた時に「私は、こう思う」と伝えるようになった。

             

             その後、今の職についた。
             子どもに直接指導をするとともに、保護者に寄り添い少し先の未来を見つめながら今していくことを伝える仕事である。結婚も子育ても経験したことがない私は、子ども寄りになることが多かったが、保護者面談をしていく中で、保護者も悩み、とまどい、立ち止まり、前へ進んで、子どもが年齢を重ねるように、親としての年齢を重ねているのだと気づいた。それは『聴く』ことを繰り返すことで気づけたことである。

             

             最近は『きいてほしい』と面談を希望される保護者が多い。話の内容は、担当している子どもの生活習慣のことから、きょうだい関係、きょうだいの悩みなど様々である。保護者は「何とかしたいけど、何をどうしたらいいのか、わからない」という状態をグルグル繰り返している方が多い。ことばでうまく表現できない方もいるため、気になることを付箋に書いてきてもらうことをする。

             同じ内容でもいいので、付箋一枚につき一つの内容。これを一週間してもらうと、保護者が言いたい内容が出てくる。その内容を詳しく『聴き』、どうすればよいかを一緒に考えていく。その繰り返しをすることで、保護者が前に進むことができ、そのことが子どもへのかかわり方の変化へとつながっていく。保護者自身が子どもの話を『聴こう』とし、子どもにきこうとしてくれるのだ。
             就学直前や就学後に保護者自身が変化に気づくことが多く、その変化が保護者の自信になっているという話もきく。そういう話を『聞く』ととても嬉しい。

             

             元来話をすることが好きな私。

             『聴く』ことが苦手という自覚もある。ついつい言いたくなるのだ。
             それでも『聴く』ことが次の一歩へとつながる。

             

             これからもいろいろな出会いを楽しみに、『聴く』ことをしていきたい。

             

             

            | 会員エッセイ | 09:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            子どもの声を聴いて社会に繋ぐ
            0

              山本千華子(大津市市民部 文化・青少年課 いじめ対策推進室相談調査専門員、臨床発達心理士)

               

               【おおつっこホットダイヤル】は、いじめに関する子どものための相談ダイヤルです。その電話番号を子どもたちに知ってもらうために、学校を通じて電話番号記載のカードを配布してもらったり、不定期の通信を発行したり、無料手紙相談を配布したりしています。

               【おおつっこホットダイヤル】に寄せられた相談には、《おおつっこ相談チーム》が対応します。《おおつっこ相談チーム》は、市民部いじめ対策推進室所属の相談調査専門員から成るチームです。

                 子どもたちの悩みは様々です。もちろんいじめや友達関係で辛い思いをしているという相談が過半数ですが、それ以外にも教師の指導上の問題、家庭の経済的な問題、進路の問題、家族の問題、特別支援教育的課題等、子どもの抱える問題の背景には様々な要因が含まれています。

               《おおつっこ相談チーム》が一番大切にしていることは、「子どもの声を聴く」ということです。子どもの問題を親や教師や行政の視点から見ず、子どもの視点に立ち、子どもが解決したいように支援する、ということです。

                もちろん親御さんからの相談も受けます。親御さんから相談を受けたときにも必ず当事者である子どもさんの話を直接聴かせていただけるようお願いします。

                たとえば、不登校の問題。子ども同士のトラブルや教師の指導上の問題で登校しづらくなった場合、親御さんと学校の対立が激しくなり、その間に挟まった子どもの声が誰にも届かなくなっている場合も少なくありません。親御さんから相談があった場合も、親御さんの相談担当とは別の子ども担当者が子どもの話をしっかり聴き、子どもと学校の関係を調整し(親と学校ではなく)、子どもが登校したい場合には子どもの登校を支援する。一方で親担当者は親の話を聴き、親と学校やその他の関係を調整する。親の問題と子どもの問題を別物と捉えて対応することで、子どもの問題が解決することも少なくありません。もちろん、そう簡単に解決に至らない事案もあります。また、《おおつっこ相談チーム》は事案をチームだけで解決するわけではありません。 

                大津市では、平成25年度のいじめ対策推進室新設と共に、常設の第三者機関《大津の子どもをいじめから守る委員会》が設けられました。子どもの権利に詳しい弁護士や子どもの発達に詳しい心理士、関係調整に詳しい心理士等、五人の委員に就任いただいてます。

               《おおつっこ相談チーム》は個々の子どもの支援に力を尽くします。そして、毎週開催される委員会には個々の事案から見えてくる学校問題や子ども行政の課題を議論し、解決の方向を市長に提言していく使命があります。

                 個々の子どもたちが抱える問題を、子どもの声を聴きながら子ども中心に解決することを目指し、それのみに留まらず、その問題が起こった社会的背景にも目を向け是正を目指す。《おおつっこ相談チーム》と《大津の子どもをいじめから守る委員会》はそんな大志を抱いて活動しています。

               

               

              | 会員エッセイ | 07:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              ごっこ遊び、黎明す!
              0

                 

                 ある日、すいた電車で帰路についていたとき、携帯が鳴って娘からの電話。

                 「お母さん、お母さん!お母さんがCoCoを寝かせつけるときに歌っていた歌なんていう歌!?」と電話の向こうで娘がテンション高く尋ねてくる。

                 

                    CoCoは娘の娘。私の初孫。

                 

                    私は娘に「コニー・フランシスって言う人のWhere the boys are って歌。日本語ではボーイハントって題で伊東ゆかりって人が歌っていたらいしわ」と答え、「なんで?」と尋ねると「あのね、あのね、CoCoがね、ひとりで熊のぬいぐるみを抱いて背中トントンして何か歌っているのでよく聞いたら、うぇ〜ざ ぼいずあ〜 ってその歌を歌っているねん♪」とのこと。

                 

                   これは、孫娘が1歳6か月の時のこと。孫と私は別居だが、生後ひと月は娘が我が家に戻ってきていた。孫が生まれた時からずっと寝かせつけるとき私は、スィングする感じのこの歌を歌い続けていた。不思議とこの歌を聴くとおとなしく寝つくのだった。そして娘が電話をくれた時、孫は普段自分を抱いて歌ってくれている人になりきって遊んでいたというのだ。これが孫娘の人生初の成りきり遊び、つまり【ごっこ遊び】だったかもしれない。

                 

                   1歳9カ月のとき、彼女は私の不要なたくさんのポイントカードをポーチから出して一枚ずつ、炬燵を挟んで座っている私に渡してくるという遊びを飽きもせずに繰り返しやっていた。何がそんなに面白いのか、とても楽しそうである。良く見ているとカードを私に渡すときにいちいち「マス」といってぴょこんと膝を曲げている。そして10回に一度くらい腰をかがめてしゃがんで炬燵の下から何かを取る仕草をする。

                 

                    私はハッと閃いた。これはレジごっこなのではないか?「マス」といっているのは「ありがとうございマス」。膝を曲げているのは会釈。そしてレジの人がポイントカードをお客に返すところを繰り返している?時々しゃがむのはレジの人がレジ袋を取る仕草?

                 

                    そこで私はそれまで機械的に受け取っていたポイントカードをちょっと演技的に「どうも〜」と言って受け取るようにした。すると孫娘の表情がパっと明るくなって、今までも楽しそうだったその遊びがもっともっと楽しいというように満面の笑顔で遊び始めた。「マス」の声がそれまでよりも高くなった。そして膝を曲げる仕草がもっと劇的になった。やっぱりそれは【レジごっこ】だったのである。

                 

                    自分だけが【つもり】になっているのも嬉しいものだったようだが、その【つもり】に気づいてもらって、その【つもり】の世界を共有して遊び合うことがもっともっと楽しいという経験をしたようだった。

                 

                    興に乗ってきた孫は時折、複数のポイントカードを一度に持って「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・」と言う。多分、一万円札を受け取ったレジの人が千円札を数えながらおつりを渡す真似をしているのだと想像できた。

                 

                    彼女は赤ちゃんのころから毎日、専業主婦である娘に抱かれて西友やジャスコに買い物に連れて行かれるのが日課だった。レジの人は孫にとって毎日毎日、マニュアル的な動きを見せてくれるパターン化された動きをする、真似しやすいモデルだったのだろう。

                 

                    加えてこのころ、彼女は、今まで登っているだけだった家庭用のジャングルジムにタオルをかけて「おせんたく」と呟くようにもなっていた。これも初めて見る彼女の動きだった。

                   たぶん、今、この時期が彼女の〖ごっこ遊び〗の黎明期なのだと思う。

                    

                    “発達”を生業にするおばあちゃんにとって、孫の【ごっこ遊び】の黎明を目の当たりにできることはちょっと嬉しい経験だ。

                 

                山本千華子(大津市役所)

                 

                 

                | 会員エッセイ | 05:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                最近思うこと
                0

                  びわこ学院大学教育福祉学部

                  後藤真吾 

                   

                   最近思っているところをとりとめもなく記すことにします。
                   近年、医療の世界を中心にエビデンスということを良く耳にするようになりました。 特別支援教育においてもエビデンスを求めるような言説がひろく聞かれるようになってきました。
                   エビデンスということが、あたかも子どもへの取り組みのお墨付きを与えるかのような印象です。しかしここで少し立ち止まって考えてみると、教育にエビデンスを求めるということができるかという疑問が浮かびます。
                   英語のevidenceは、証拠・根拠、証言、形跡などという意味になるようです。

                   医療分野においては、治療法が対象となる疾病に対して、効果があることを示す証拠や臨床結果などのこというようです。この場合、疾病の原因や発症のメカニズムなどが詳細に明らかにされている場合には、それに対する治療法のエビデンスを求めることは合理性があるように思われます。この場合は疾病も治療法も常数として扱えると考えるからです。
                   一方、教育においてはどうでしょう。教育は子どもと教師、さらにはその子を取り巻く友だちとの相互関係で成り立つ営みということができます。この場合、対象となる子どもをいくらアセスメントしたとしても、子どもの全体を把握できるわけではありません。その子どもに対応する教師が行なう教育活動にしても、たとえ中身が同じであっても、教師自身が男か女か若いかベテランかなどの複数の要件によってそのタッチや意味合いは変わってくることは経験則として疑えないことだと思います。また、子どもも教師もその時の情動で具体的に示す行動は違ってきます。つまり、対象も対象に働きかける教師も変数ということがいえると思います。変数の乗数が一定の値を取ることは考えられないことになります。
                   こうしたことを考えると、そもそも教育活動にエビデンスを求めること自体が無理なことであるということがいえるのではないかと思います。
                   特別支援教育においては、子どもに診断名を付け、その診断名が付けばあたかもどの子も同じ子どもであるかのように、「これこれの障害の子どもには、これこれの方法を用いて課題に取り組ませると、これこれの成果がでます」などという短期の実践報告や研究が発表されます。ほんとうにこれで良いのでしょうか。日々真摯に実践を重ねている実践者の実践感覚と大きくズレているように思います。
                   ある意味「一期一会」の教育実践においてはそもそもここでいうエビデンスということそのものがそぐわないのではないか、そういうことが気になり出したこの頃です。教育における智というものはもっと別のところにあるのではないかと思っています。しばらくこのテーマを探ろうと思います。

                  | 会員エッセイ | 07:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  滋賀支部ブログ:いつも同じでいることを大事にしたい ―発達支援に思うー
                  0

                    大津市子ども発達相談センター

                    佐々木一夫

                     

                     中学2年、5月の連休がすぎたころ,春子さんは、ある日、学校にいくこ

                    とができなくなりました。前日までの学校生活は、何ごともなくいつも通り

                    の毎日でしたし、帰宅後も、すこし宿題に時間がかかっていたものの、い

                    つも通り時間割をあわせていました。なのに、翌朝は、母親がいくら起こ

                    しても、布団を頭からかぶったまま、起きだせなかったのです。

                    友だちは、春子さんが休みはじめてからも、毎朝、友だちはいっしょに

                    登校しようと、迎えに来てくれました。放課後には、学校で配られた連絡

                    プリントなどを届けに来てくれる友だちもいました。授業の空き時間に、

                    心配して担任の先生が、春子さんに言葉かけをしようと、家庭訪問に来

                    てくれました。

                    春子さんは、そうした友だちや先生に、心の中ではすまないと思いなが

                    ら、どうしても顔を会わせることはできませんでした。お母さんは、みんな

                    が来てくれる度に、「会いたくない」と、春子さんが言っていると,友だちに

                    詫びなければならず、とてもつらい気持ちになっていきました。

                    ある日、先生はクラスの生徒たちから、質問を受けました。「先生、どう

                    して春子は私たちに顔を見せないのか」と。何か顔を合わせたくない理

                    由でもあるのなら知りたい、自分たちにできることなら、できる限りのこと

                    をやってあげたい、という思いからでした。

                    先生は、生徒たちに、春子さんのことをうまく説明することができないだ

                    けでなく、先生自身にしても、春子さんが学校を休んでいる理由、みんな

                    と顔をあわさない理由について、何ひとつわからず、したがって、なすす

                    べは何もなかったのです。

                    「私らのなんとか一緒に勉強したり、遊んだりしたいという気持ち、ふみ

                    にじるのもいいかげんにしてほしいわ。」春子さんが、学校に行かなくな

                    って、1か月が経とうというとき、友だちの中から、そんな声が上がってき

                    ました。毎日だった誘いが2日に一度となり,その数も一人減り、二人減

                    りとしてきました。春子さんは「こんな風に、自分を思ってくれていた友だ

                    ちの気持ちに泥を塗るようなことをしていて,先生や友だちから見放され

                    ても当然だ,きっともう一か月もたったら、だれも私のところへなんか来な

                    くなるにきまっている。結局、友だちといっても私にとってはそれだけの関

                    係でしかなかったのだ。」と思いはじめました。

                    それから,さらに一か月たち,ほとんど友だちの訪れが跡絶えた春子さ

                    んの家でしたが,毎日、学校での様子や友だちのことなどを記した手紙

                    が、京子さんという一人の友だちから届いていました。

                    「うれしいけれど,どうせもう一か月もしたらこの手紙も来なくなる。」春

                    子さんはそう思っていました。やがて、夏休みになり、すこしだけ、学校や

                    友だちのことを考えなくてもすむ時間が、春子さんにもできました。そうし

                    た夏休みの毎日でも、京子さんからの手紙は跡絶えることがありません

                    でした。

                    2学期になっても、依然として学校へはいけませんでしたが、ある日の

                    夕方、京子さんからの手紙の封を、いつもと同じように切ろうとした時、春

                    子さんは、友だちや先生、家族、あるいは人というものに、漠然とした信

                    頼の気持ちが芽生えてきたよう感じました。こんな気持ちは今まで経験し

                    たことのないものでした。

                    その後、中間試験のテスト範囲の手紙に、どさっと、授業ノートのコピー

                    が同封されて届けられました。春子さんは、久しぶりに教科書を手にし、

                    学校に戻ろうと思いました。学校に行けば、なぜ休んでいたのか、休んで

                    何をしていたのか、どんなことを聞かれるだろう、どんな目で見られるの

                    だろうか、いろいろと考えました。

                    しかし、学校に行っても、どの友だちからも、何も聞かれません。廊下で

                    すれ違った先生が、かけてくれた言葉は、「大丈夫か、今日のテストがん

                    ばれよ。」の一言でした。何ひとつこれまでと変わらない、いつもの中間

                    テストでした。

                    京子さん自身,先生から「春子に、なにがあったんやろな、わからんな

                    あ」と、言われても、一緒にうなずくしかありませんでした。けれど、『春子

                    が経験したことは、いつか自分にやってくるかもしれない』と、京子は心

                    のなかで思っていました。

                    心理・発達の支援理論やスキルで「相談支援」という仕事に携わりなが

                    ら、「自分のやっていることが、どこまで役立っているか分からない。ひょ

                    っとすると役立っていないことがほとんどなのかもしれない。」と、感じる

                    こともあります。

                    けれど、「むずかしいケースでも、その子どもにまなざしを向け続け、な

                    んとか分かろうと、懸命になることはできるのだ。」と、考えることを大切

                    にしています。

                    | 会員エッセイ | 13:39 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    はじめまして、滋賀支部の山崎 真義(やまざき まさよし)です。
                    0

                       

                       みなさん、こんにちは。日本臨床発達心理士滋賀支部の山崎です。現在滋賀支部において、事務局担当役員を務めさせていただいて2年目になります。支部活動におきましては、会員の皆様のご理解・ご協力を賜り日々感謝しております。至らない点も多々あるかとは思いますが今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

                       

                      【自己紹介】

                       冒頭の絵は今年6歳になる一人息子が、5歳の時に初めて父親に書いてくれたプレゼントです。息子は絵を描くことが嫌いで、それなのに、母親と一緒に奮闘しながら一生懸命描いてくれたんだな・・・と想像すると、大きなうれしさを覚えましたし、「誰かに喜んでもらいたい。」という思いがあると、下手なりにすごく暖かい絵になるんだなということを感じたことを覚えております。そして親バカでもありますが、結構似ています。(笑)

                       

                       現在特別支援学校に勤めて、12年目(講師時代も含めると16年目)となりますが、形を教えるのではなく、「思いを込めて色々なことを行う。」ということは教育実践でも子どもたちに大切にしなければいけないことだなと改めて感じました。現在40歳、不惑の年を迎え、父親として、教師としてそして、臨床発達心理士としていっぱいいっぱいながら充実した日々を過ごしております。趣味は、バンド活動で歌うことです、年間5~6回自分たちのライブも行っています。

                       

                      【臨床発達心理師との出会い】

                       初めは、本当にポスターを見て「こんな資格があるんだな。」くらいしか思っていませんでした。自分とは程遠いと思っていましたし、心理系の大学でもなかったこともあり、これは心理系の学問を学んだ方々が目指す資格であると思っていました。しかし、現在滋賀支部の幹事でもあります後藤先生が資格を取られたことを知り、また、職場の方々も資格取得を目指していることを知り、「もっと深く知りたい」と思うようになりました。その後現職に門戸が広く開かれている資格であることを知るとともに「発達」という今まで自分が特別支援学校で大切にしてきたことをさらに深く学べることを知りました。さっそく資料を取り寄せ、後藤先生にスーパーバイズをしていただき、2010年に無時資格を取得することができました。もちろん資格を取ることはスタートであり、様々な研修会を通してその後学びを積み重ねられたことは本当にありがたいことだなと日々思っています。さらに、役員をさせて頂くようになってからは、様々な方々と知り合う機会を多く頂き、本当に幸せなことだなと思っております。

                       

                      【特別支援学校の教員として】

                       この仕事をして12年目となりますが、12年の中で「教育相談」という業務を8年させていただいております。教育相談業務の内容は幅広く、就学相談業務から、特別支援学校のセンター的機能の発揮として地域の保・幼・小・中・高への巡回相談のような業務も行っております。特にその中には「発達検査、心理検査を含めたアセスメント」業務もあり本当に日々手さぐりで行っている状態でした。当然検査の講習会や様々な研修会には行っていたものの、これらの業務は基本個人で行うことが多く、誰かに相談したり、見立てを複数で深めたりという作業が非常に少ない状態でした。「本当にこれで自分の見立ては当たっているのか?」「安易なことを言っているのではないか?」ということを悩む日々でしたし、現在でもそれは同じです。しかし、資格を取得してからは「京滋奈3支部研修会」などで、「アセスメント研修会」などの機会があり、講義を聞くだけでなく、専門家同士でグループ論議をしながら見立てたり、発達支援を考えていく学びの機会を多くいただきました。これは本当にありがたいことで、普段中々ない機会であるとともに、「みんな、同じようなことで悩んでいるんだな。」ということを知ることもできましたし、何より、同じ関西の中で(もちろん滋賀の中で)多くのネットワークもできました。これは、他の研修会ではないことで、「地域に根差した、発達臨床」を目指す。支部活動があってこそだなと感じております。

                       

                      【最後に】

                       現在公認心理師という国家資格ができ、民間の心理系の資格は過渡期のもいえる時期を迎えようとしていますが、「臨床発達心理士」として「地域に根差した発達支援活動」をより充実させ、「地域になくてはならない専門家」として位置づいていけるように、皆様と手をたづさえながら頑張っていきたいと思っております。今後ともご迷惑を多くおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

                      | 会員エッセイ | 16:18 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP