日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
地域の皆さんとの交流をめざしています。
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    丸澤由美子(独立行政法人 国立病院機構 鈴鹿病院 療育指導室 児童指導員)

     

      私は「重症心身障害児(者)病棟」に児童指導員として勤務しており、呼吸器を装着していたり、吸引ケアなどが頻回に必要だったりする人々と毎日一緒に過ごしています。

     「どんなことをしているの?」とよく質問を受けます。病院で、医師は診療し、看護師は看護を、介護職は介護を…と、それぞれが専門分野に特化した仕事をしています。では、児童指導員とは何でしょう。実は、入院されている方々の発達に即した療育活動の検討(教育面)、当事者家族への支援や相談(心理面)、個別の福祉プランの作成(福祉)、身体機能改善に向けた支援(介護)等、多岐にわたります。「それで、結局何をしてくれる人なの?」と思われてしまうのですが、結局のところ、私は「患者さんの側から病院でできることを一番に考える人」だと思っています。患者さん一人、ひとりに寄り添い、「患者さんにとって、何が大切か?」を多角的に捉え、行動し、多職種と連携する人だと思っています。

     病院ではどちらかというと高齢の方とのお付き合いが多い私には、月1回、子どもと触れ合う機会となる「みんなあつまれ」(成松祐子主宰)への参加がとても大切な時間となっています。「みんなあつまれ」は、発達に気がかりのある子どもが親子で参加する、参加自由、入退場自由、申込不要の気軽に参加できる子育ちサークルです。滋賀県立大学の交流センターの部屋をお借りして活動しています。月1回の土曜日、10時から12時の2時間の実施ですが、その間親子は離れて過ごします。保護者はその時々の思いや疑問、悩みを出しあい、お互いにアイデアや経験談を話す時間を持ちます。

     子どもたちは、その間それぞれに「これがしたい!」という遊びをしながら、保護者のお迎えを待ちます。プラレールやままごと等の遊びが好きな子どもたちが多いのですが、一番人気は“ヒツジさん散歩”です。これは、滋賀県立大学内で実施しているという特色を活かした散歩です。滋賀県立大学の構内は、車の往来が少なく、子どもたちが安心して、子どもたちのペースでゆったりと歩くスペースがあります。また、さまざまな植物があり、動物にも出会えます。子どもたちにとっては、“不思議”なものやことがいっぱいです。環濠の近くを歩けば、「おさかないた!」「これ(近くの草)食べるかな?」と盛り上がり、共通講義棟の近くに行けば、「カモさん、いたよ」「アヒルさん、来たよ」と近くに寄って行き、いきなり発せられる鳴き声を聞いてびっくりしたりしています。環境科学部では、ヒツジさんを間近で見て、興味津々に近寄って、お友だち同士で「これどうぞ~(草)」と声をかけにいったりして大興奮しています。

     職場で、ボランティアで、重度の障害のある方々や、軽度とはいえ発達に気がかりのある子どもたちと接している私は、ときどき、「障害ってなんだろう?」と考えます。重度の障害があっても、発達に気がかりがあっても、誰もがそれぞれに素敵な個性を持つ一人、ひとりです。重度の障害があっても、自分の気持ちを伝えたい思い、伝わらなくて困ったり、悩んだりしています。みんなと一緒に楽しいことをしたいとも思っています。発達に気がかりがある子どもたちも、散歩の途中で綺麗に咲いている花を見つければ、「ママにもっていく!」と摘んだり、動物たちに「あつくない?」と声をかけたりする姿が見られます。障害のある人たちも、自分以外の人、特に家族やお友だちに「喜んでもらいたい」「役に立ちたい」と思っています。そんな素敵な気持ちは、障害があっても、なくても、“みんな一緒”なんだと気づかされます。

     障害があると、ともすれば、「○○スキルトレーニング」「○○療法」等、障害ゆえに足りない部分を補おうと訓練のような取り組みを行う傾向があります。しかし、「重度の障害があるから」「発達に気がかりなことがあるから」と足りない部分を補い、何かしらの訓練をしなければいけないということはないように思います。私がかかわっている集団の中では、みんながお互いに折り合いをつけながら育ち、活き活きとした姿を見せてくれています。そんな姿をみていると、それぞれの育ちを「見守り」「共有」しあうことが大切なのかもしれないと思えてきます。それぞれが日々を健やかに生きて活き活きと暮らせる場があることが、どの人にもあることが私の願いです。みんなが頑張りすぎなくても、自分らしさを活かし、認められながら生きていける環境を目指し、これからもさまざまな活動に取り組んでいきたいと思っています。

     

     

    | 会員エッセイ | 10:34 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    『聞く』ことと『聴く』こと
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      岡村律(滋賀県立八日市南小学校ことばの教室)

       

       働きだして、15年近くたつ。

       初めての職場は利用者さんの話を『聴く』ことが仕事の一つであった。先輩から「『聞く』ではなく『聴く』ことをしてください」と言われた。

       そもそも『聞く』ことと『聴く』ことはどう違うのか。どちらの漢字にも『耳』がある。しかし、部首が「もんがまえ」と「みみへん」と異なっており、一文字中に占める「耳」の大きさが違う。今、この原稿を打っているパソコンの漢字変換時に提示される辞書には、それぞれの意味が『聞く:〔一般的〕』、『聴く:〔限定的〕身を入れてきく』とされている。

       

       初めての職場は自分の思いをなかなかことばにすることができない人たちと時を過ごす場であった。利用者さんに言われたことがある。「私はあなたに意見を求めていない。ただ、話をきいてほしい」と。自分なりに聴いているつもりが、聞いていたのだ。
       心と頭にズドン!と響いた。その方の思いを聴いて言語化したのではなく、私自身の理解を言葉にしたものを返してしまっていたのだ。それからは「どう思う?」と意見を求められた時に「私は、こう思う」と伝えるようになった。

       

       その後、今の職についた。
       子どもに直接指導をするとともに、保護者に寄り添い少し先の未来を見つめながら今していくことを伝える仕事である。結婚も子育ても経験したことがない私は、子ども寄りになることが多かったが、保護者面談をしていく中で、保護者も悩み、とまどい、立ち止まり、前へ進んで、子どもが年齢を重ねるように、親としての年齢を重ねているのだと気づいた。それは『聴く』ことを繰り返すことで気づけたことである。

       

       最近は『きいてほしい』と面談を希望される保護者が多い。話の内容は、担当している子どもの生活習慣のことから、きょうだい関係、きょうだいの悩みなど様々である。保護者は「何とかしたいけど、何をどうしたらいいのか、わからない」という状態をグルグル繰り返している方が多い。ことばでうまく表現できない方もいるため、気になることを付箋に書いてきてもらうことをする。

       同じ内容でもいいので、付箋一枚につき一つの内容。これを一週間してもらうと、保護者が言いたい内容が出てくる。その内容を詳しく『聴き』、どうすればよいかを一緒に考えていく。その繰り返しをすることで、保護者が前に進むことができ、そのことが子どもへのかかわり方の変化へとつながっていく。保護者自身が子どもの話を『聴こう』とし、子どもにきこうとしてくれるのだ。
       就学直前や就学後に保護者自身が変化に気づくことが多く、その変化が保護者の自信になっているという話もきく。そういう話を『聞く』ととても嬉しい。

       

       元来話をすることが好きな私。

       『聴く』ことが苦手という自覚もある。ついつい言いたくなるのだ。
       それでも『聴く』ことが次の一歩へとつながる。

       

       これからもいろいろな出会いを楽しみに、『聴く』ことをしていきたい。

       

       

      | 会員エッセイ | 09:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      子どもの声を聴いて社会に繋ぐ
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        山本千華子(大津市市民部 文化・青少年課 いじめ対策推進室相談調査専門員、臨床発達心理士)

         

         【おおつっこホットダイヤル】は、いじめに関する子どものための相談ダイヤルです。その電話番号を子どもたちに知ってもらうために、学校を通じて電話番号記載のカードを配布してもらったり、不定期の通信を発行したり、無料手紙相談を配布したりしています。

         【おおつっこホットダイヤル】に寄せられた相談には、《おおつっこ相談チーム》が対応します。《おおつっこ相談チーム》は、市民部いじめ対策推進室所属の相談調査専門員から成るチームです。

           子どもたちの悩みは様々です。もちろんいじめや友達関係で辛い思いをしているという相談が過半数ですが、それ以外にも教師の指導上の問題、家庭の経済的な問題、進路の問題、家族の問題、特別支援教育的課題等、子どもの抱える問題の背景には様々な要因が含まれています。

         《おおつっこ相談チーム》が一番大切にしていることは、「子どもの声を聴く」ということです。子どもの問題を親や教師や行政の視点から見ず、子どもの視点に立ち、子どもが解決したいように支援する、ということです。

          もちろん親御さんからの相談も受けます。親御さんから相談を受けたときにも必ず当事者である子どもさんの話を直接聴かせていただけるようお願いします。

          たとえば、不登校の問題。子ども同士のトラブルや教師の指導上の問題で登校しづらくなった場合、親御さんと学校の対立が激しくなり、その間に挟まった子どもの声が誰にも届かなくなっている場合も少なくありません。親御さんから相談があった場合も、親御さんの相談担当とは別の子ども担当者が子どもの話をしっかり聴き、子どもと学校の関係を調整し(親と学校ではなく)、子どもが登校したい場合には子どもの登校を支援する。一方で親担当者は親の話を聴き、親と学校やその他の関係を調整する。親の問題と子どもの問題を別物と捉えて対応することで、子どもの問題が解決することも少なくありません。もちろん、そう簡単に解決に至らない事案もあります。また、《おおつっこ相談チーム》は事案をチームだけで解決するわけではありません。 

          大津市では、平成25年度のいじめ対策推進室新設と共に、常設の第三者機関《大津の子どもをいじめから守る委員会》が設けられました。子どもの権利に詳しい弁護士や子どもの発達に詳しい心理士、関係調整に詳しい心理士等、五人の委員に就任いただいてます。

         《おおつっこ相談チーム》は個々の子どもの支援に力を尽くします。そして、毎週開催される委員会には個々の事案から見えてくる学校問題や子ども行政の課題を議論し、解決の方向を市長に提言していく使命があります。

           個々の子どもたちが抱える問題を、子どもの声を聴きながら子ども中心に解決することを目指し、それのみに留まらず、その問題が起こった社会的背景にも目を向け是正を目指す。《おおつっこ相談チーム》と《大津の子どもをいじめから守る委員会》はそんな大志を抱いて活動しています。

         

         

        | 会員エッセイ | 07:41 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        ごっこ遊び、黎明す!
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           ある日、すいた電車で帰路についていたとき、携帯が鳴って娘からの電話。

           「お母さん、お母さん!お母さんがCoCoを寝かせつけるときに歌っていた歌なんていう歌!?」と電話の向こうで娘がテンション高く尋ねてくる。

           

              CoCoは娘の娘。私の初孫。

           

              私は娘に「コニー・フランシスって言う人のWhere the boys are って歌。日本語ではボーイハントって題で伊東ゆかりって人が歌っていたらいしわ」と答え、「なんで?」と尋ねると「あのね、あのね、CoCoがね、ひとりで熊のぬいぐるみを抱いて背中トントンして何か歌っているのでよく聞いたら、うぇ〜ざ ぼいずあ〜 ってその歌を歌っているねん♪」とのこと。

           

             これは、孫娘が1歳6か月の時のこと。孫と私は別居だが、生後ひと月は娘が我が家に戻ってきていた。孫が生まれた時からずっと寝かせつけるとき私は、スィングする感じのこの歌を歌い続けていた。不思議とこの歌を聴くとおとなしく寝つくのだった。そして娘が電話をくれた時、孫は普段自分を抱いて歌ってくれている人になりきって遊んでいたというのだ。これが孫娘の人生初の成りきり遊び、つまり【ごっこ遊び】だったかもしれない。

           

             1歳9カ月のとき、彼女は私の不要なたくさんのポイントカードをポーチから出して一枚ずつ、炬燵を挟んで座っている私に渡してくるという遊びを飽きもせずに繰り返しやっていた。何がそんなに面白いのか、とても楽しそうである。良く見ているとカードを私に渡すときにいちいち「マス」といってぴょこんと膝を曲げている。そして10回に一度くらい腰をかがめてしゃがんで炬燵の下から何かを取る仕草をする。

           

              私はハッと閃いた。これはレジごっこなのではないか?「マス」といっているのは「ありがとうございマス」。膝を曲げているのは会釈。そしてレジの人がポイントカードをお客に返すところを繰り返している?時々しゃがむのはレジの人がレジ袋を取る仕草?

           

              そこで私はそれまで機械的に受け取っていたポイントカードをちょっと演技的に「どうも〜」と言って受け取るようにした。すると孫娘の表情がパっと明るくなって、今までも楽しそうだったその遊びがもっともっと楽しいというように満面の笑顔で遊び始めた。「マス」の声がそれまでよりも高くなった。そして膝を曲げる仕草がもっと劇的になった。やっぱりそれは【レジごっこ】だったのである。

           

              自分だけが【つもり】になっているのも嬉しいものだったようだが、その【つもり】に気づいてもらって、その【つもり】の世界を共有して遊び合うことがもっともっと楽しいという経験をしたようだった。

           

              興に乗ってきた孫は時折、複数のポイントカードを一度に持って「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・」と言う。多分、一万円札を受け取ったレジの人が千円札を数えながらおつりを渡す真似をしているのだと想像できた。

           

              彼女は赤ちゃんのころから毎日、専業主婦である娘に抱かれて西友やジャスコに買い物に連れて行かれるのが日課だった。レジの人は孫にとって毎日毎日、マニュアル的な動きを見せてくれるパターン化された動きをする、真似しやすいモデルだったのだろう。

           

              加えてこのころ、彼女は、今まで登っているだけだった家庭用のジャングルジムにタオルをかけて「おせんたく」と呟くようにもなっていた。これも初めて見る彼女の動きだった。

             たぶん、今、この時期が彼女の〖ごっこ遊び〗の黎明期なのだと思う。

              

              “発達”を生業にするおばあちゃんにとって、孫の【ごっこ遊び】の黎明を目の当たりにできることはちょっと嬉しい経験だ。

           

          山本千華子(大津市役所)

           

           

          | 会員エッセイ | 05:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          最近思うこと
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            びわこ学院大学教育福祉学部

            後藤真吾 

             

             最近思っているところをとりとめもなく記すことにします。
             近年、医療の世界を中心にエビデンスということを良く耳にするようになりました。 特別支援教育においてもエビデンスを求めるような言説がひろく聞かれるようになってきました。
             エビデンスということが、あたかも子どもへの取り組みのお墨付きを与えるかのような印象です。しかしここで少し立ち止まって考えてみると、教育にエビデンスを求めるということができるかという疑問が浮かびます。
             英語のevidenceは、証拠・根拠、証言、形跡などという意味になるようです。

             医療分野においては、治療法が対象となる疾病に対して、効果があることを示す証拠や臨床結果などのこというようです。この場合、疾病の原因や発症のメカニズムなどが詳細に明らかにされている場合には、それに対する治療法のエビデンスを求めることは合理性があるように思われます。この場合は疾病も治療法も常数として扱えると考えるからです。
             一方、教育においてはどうでしょう。教育は子どもと教師、さらにはその子を取り巻く友だちとの相互関係で成り立つ営みということができます。この場合、対象となる子どもをいくらアセスメントしたとしても、子どもの全体を把握できるわけではありません。その子どもに対応する教師が行なう教育活動にしても、たとえ中身が同じであっても、教師自身が男か女か若いかベテランかなどの複数の要件によってそのタッチや意味合いは変わってくることは経験則として疑えないことだと思います。また、子どもも教師もその時の情動で具体的に示す行動は違ってきます。つまり、対象も対象に働きかける教師も変数ということがいえると思います。変数の乗数が一定の値を取ることは考えられないことになります。
             こうしたことを考えると、そもそも教育活動にエビデンスを求めること自体が無理なことであるということがいえるのではないかと思います。
             特別支援教育においては、子どもに診断名を付け、その診断名が付けばあたかもどの子も同じ子どもであるかのように、「これこれの障害の子どもには、これこれの方法を用いて課題に取り組ませると、これこれの成果がでます」などという短期の実践報告や研究が発表されます。ほんとうにこれで良いのでしょうか。日々真摯に実践を重ねている実践者の実践感覚と大きくズレているように思います。
             ある意味「一期一会」の教育実践においてはそもそもここでいうエビデンスということそのものがそぐわないのではないか、そういうことが気になり出したこの頃です。教育における智というものはもっと別のところにあるのではないかと思っています。しばらくこのテーマを探ろうと思います。

            | 会員エッセイ | 07:00 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            滋賀支部ブログ:いつも同じでいることを大事にしたい ―発達支援に思うー
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              大津市子ども発達相談センター

              佐々木一夫

               

               中学2年、5月の連休がすぎたころ,春子さんは、ある日、学校にいくこ

              とができなくなりました。前日までの学校生活は、何ごともなくいつも通り

              の毎日でしたし、帰宅後も、すこし宿題に時間がかかっていたものの、い

              つも通り時間割をあわせていました。なのに、翌朝は、母親がいくら起こ

              しても、布団を頭からかぶったまま、起きだせなかったのです。

              友だちは、春子さんが休みはじめてからも、毎朝、友だちはいっしょに

              登校しようと、迎えに来てくれました。放課後には、学校で配られた連絡

              プリントなどを届けに来てくれる友だちもいました。授業の空き時間に、

              心配して担任の先生が、春子さんに言葉かけをしようと、家庭訪問に来

              てくれました。

              春子さんは、そうした友だちや先生に、心の中ではすまないと思いなが

              ら、どうしても顔を会わせることはできませんでした。お母さんは、みんな

              が来てくれる度に、「会いたくない」と、春子さんが言っていると,友だちに

              詫びなければならず、とてもつらい気持ちになっていきました。

              ある日、先生はクラスの生徒たちから、質問を受けました。「先生、どう

              して春子は私たちに顔を見せないのか」と。何か顔を合わせたくない理

              由でもあるのなら知りたい、自分たちにできることなら、できる限りのこと

              をやってあげたい、という思いからでした。

              先生は、生徒たちに、春子さんのことをうまく説明することができないだ

              けでなく、先生自身にしても、春子さんが学校を休んでいる理由、みんな

              と顔をあわさない理由について、何ひとつわからず、したがって、なすす

              べは何もなかったのです。

              「私らのなんとか一緒に勉強したり、遊んだりしたいという気持ち、ふみ

              にじるのもいいかげんにしてほしいわ。」春子さんが、学校に行かなくな

              って、1か月が経とうというとき、友だちの中から、そんな声が上がってき

              ました。毎日だった誘いが2日に一度となり,その数も一人減り、二人減

              りとしてきました。春子さんは「こんな風に、自分を思ってくれていた友だ

              ちの気持ちに泥を塗るようなことをしていて,先生や友だちから見放され

              ても当然だ,きっともう一か月もたったら、だれも私のところへなんか来な

              くなるにきまっている。結局、友だちといっても私にとってはそれだけの関

              係でしかなかったのだ。」と思いはじめました。

              それから,さらに一か月たち,ほとんど友だちの訪れが跡絶えた春子さ

              んの家でしたが,毎日、学校での様子や友だちのことなどを記した手紙

              が、京子さんという一人の友だちから届いていました。

              「うれしいけれど,どうせもう一か月もしたらこの手紙も来なくなる。」春

              子さんはそう思っていました。やがて、夏休みになり、すこしだけ、学校や

              友だちのことを考えなくてもすむ時間が、春子さんにもできました。そうし

              た夏休みの毎日でも、京子さんからの手紙は跡絶えることがありません

              でした。

              2学期になっても、依然として学校へはいけませんでしたが、ある日の

              夕方、京子さんからの手紙の封を、いつもと同じように切ろうとした時、春

              子さんは、友だちや先生、家族、あるいは人というものに、漠然とした信

              頼の気持ちが芽生えてきたよう感じました。こんな気持ちは今まで経験し

              たことのないものでした。

              その後、中間試験のテスト範囲の手紙に、どさっと、授業ノートのコピー

              が同封されて届けられました。春子さんは、久しぶりに教科書を手にし、

              学校に戻ろうと思いました。学校に行けば、なぜ休んでいたのか、休んで

              何をしていたのか、どんなことを聞かれるだろう、どんな目で見られるの

              だろうか、いろいろと考えました。

              しかし、学校に行っても、どの友だちからも、何も聞かれません。廊下で

              すれ違った先生が、かけてくれた言葉は、「大丈夫か、今日のテストがん

              ばれよ。」の一言でした。何ひとつこれまでと変わらない、いつもの中間

              テストでした。

              京子さん自身,先生から「春子に、なにがあったんやろな、わからんな

              あ」と、言われても、一緒にうなずくしかありませんでした。けれど、『春子

              が経験したことは、いつか自分にやってくるかもしれない』と、京子は心

              のなかで思っていました。

              心理・発達の支援理論やスキルで「相談支援」という仕事に携わりなが

              ら、「自分のやっていることが、どこまで役立っているか分からない。ひょ

              っとすると役立っていないことがほとんどなのかもしれない。」と、感じる

              こともあります。

              けれど、「むずかしいケースでも、その子どもにまなざしを向け続け、な

              んとか分かろうと、懸命になることはできるのだ。」と、考えることを大切

              にしています。

              | 会員エッセイ | 13:39 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              はじめまして、滋賀支部の山崎 真義(やまざき まさよし)です。
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                 みなさん、こんにちは。日本臨床発達心理士滋賀支部の山崎です。現在滋賀支部において、事務局担当役員を務めさせていただいて2年目になります。支部活動におきましては、会員の皆様のご理解・ご協力を賜り日々感謝しております。至らない点も多々あるかとは思いますが今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

                 

                【自己紹介】

                 冒頭の絵は今年6歳になる一人息子が、5歳の時に初めて父親に書いてくれたプレゼントです。息子は絵を描くことが嫌いで、それなのに、母親と一緒に奮闘しながら一生懸命描いてくれたんだな・・・と想像すると、大きなうれしさを覚えましたし、「誰かに喜んでもらいたい。」という思いがあると、下手なりにすごく暖かい絵になるんだなということを感じたことを覚えております。そして親バカでもありますが、結構似ています。(笑)

                 

                 現在特別支援学校に勤めて、12年目(講師時代も含めると16年目)となりますが、形を教えるのではなく、「思いを込めて色々なことを行う。」ということは教育実践でも子どもたちに大切にしなければいけないことだなと改めて感じました。現在40歳、不惑の年を迎え、父親として、教師としてそして、臨床発達心理士としていっぱいいっぱいながら充実した日々を過ごしております。趣味は、バンド活動で歌うことです、年間5~6回自分たちのライブも行っています。

                 

                【臨床発達心理師との出会い】

                 初めは、本当にポスターを見て「こんな資格があるんだな。」くらいしか思っていませんでした。自分とは程遠いと思っていましたし、心理系の大学でもなかったこともあり、これは心理系の学問を学んだ方々が目指す資格であると思っていました。しかし、現在滋賀支部の幹事でもあります後藤先生が資格を取られたことを知り、また、職場の方々も資格取得を目指していることを知り、「もっと深く知りたい」と思うようになりました。その後現職に門戸が広く開かれている資格であることを知るとともに「発達」という今まで自分が特別支援学校で大切にしてきたことをさらに深く学べることを知りました。さっそく資料を取り寄せ、後藤先生にスーパーバイズをしていただき、2010年に無時資格を取得することができました。もちろん資格を取ることはスタートであり、様々な研修会を通してその後学びを積み重ねられたことは本当にありがたいことだなと日々思っています。さらに、役員をさせて頂くようになってからは、様々な方々と知り合う機会を多く頂き、本当に幸せなことだなと思っております。

                 

                【特別支援学校の教員として】

                 この仕事をして12年目となりますが、12年の中で「教育相談」という業務を8年させていただいております。教育相談業務の内容は幅広く、就学相談業務から、特別支援学校のセンター的機能の発揮として地域の保・幼・小・中・高への巡回相談のような業務も行っております。特にその中には「発達検査、心理検査を含めたアセスメント」業務もあり本当に日々手さぐりで行っている状態でした。当然検査の講習会や様々な研修会には行っていたものの、これらの業務は基本個人で行うことが多く、誰かに相談したり、見立てを複数で深めたりという作業が非常に少ない状態でした。「本当にこれで自分の見立ては当たっているのか?」「安易なことを言っているのではないか?」ということを悩む日々でしたし、現在でもそれは同じです。しかし、資格を取得してからは「京滋奈3支部研修会」などで、「アセスメント研修会」などの機会があり、講義を聞くだけでなく、専門家同士でグループ論議をしながら見立てたり、発達支援を考えていく学びの機会を多くいただきました。これは本当にありがたいことで、普段中々ない機会であるとともに、「みんな、同じようなことで悩んでいるんだな。」ということを知ることもできましたし、何より、同じ関西の中で(もちろん滋賀の中で)多くのネットワークもできました。これは、他の研修会ではないことで、「地域に根差した、発達臨床」を目指す。支部活動があってこそだなと感じております。

                 

                【最後に】

                 現在公認心理師という国家資格ができ、民間の心理系の資格は過渡期のもいえる時期を迎えようとしていますが、「臨床発達心理士」として「地域に根差した発達支援活動」をより充実させ、「地域になくてはならない専門家」として位置づいていけるように、皆様と手をたづさえながら頑張っていきたいと思っております。今後ともご迷惑を多くおかけすると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

                | 会員エッセイ | 16:18 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                こんにちは、西原睦子です。
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                  自己紹介

                  大津市の発達相談員で、就学前の地域療育の場であるやまびこ園・教室に4月から勤務しています。それ以前は市立の東部子ども療育センター、子育て総合支援センターにそれぞれ5年、さらにその前は母子保健分野で乳幼児健診とその後の相談に関わっていました。

                  お盆になると思い出すことばを軸に、このブログを書いてみたいと思います。

                  発達相談員としての原点

                  学生時代、ボランテイアや教育実習で知的障害がある自閉スペクトラム症や脳性麻痺などの障害を持つ小学生と出会い、どう関わっていいのか確信が持てずどこか戸惑いを感じている自分がいました。大学の講義や書物で学んだことと実践がどう結びつくのか、自分に何ができるのかと考える座標もなく思っていました。そんな時に出会ったのが、映画『夜明け前の子どもたち』です。「いい映画だから」と先輩に誘われたから見た、その映画に大きな衝撃を受けました。学生だった私は、当時通常発達を基準にできないことを並べ、それが障害ゆえの特徴とする考え方(類型論)には違和感を持っていました。そうした枠組みで子どもを見たり関わったりしていると、子どもも私もちっとも楽しくなく、むしろお互いの関係がしんどくなっていくように感じていたからです。

                  その映画の中では、どんなに障害が重くても発達の可能性がある、障害の重い人は長い時間をかけて「〜に挑戦している」人達と捉える人間観・発達観が提示されていました。障害がある・ない、相談する人・される人という立場を超えて「〜に挑戦している」同じ仲間なんだと思え、何かから解放されたような、目の前の靄がさっと晴れたような気持ちになりました。今思えば、立場が換われば自分が見ている見方で相手から見られるということになる、そんな見方を子どもはしてほしいのだろうかとの素朴な思いと、そう思った時に、自分の中にもできないことに注目しやすい能力主義が厳然としてあること、自分自身もそのことに苦しめられていることを自覚せざるを得ず、そのことにたじろぎ、狭隘な自分の見方や人間観を何とかしたいと、青年期に入ったところで葛藤していたためかもしれません。『夜明け前の子どもたち』はそこを抜け出す羅針盤のように思えたのでした。

                  いざ発達相談員に

                  ところが、そこから田中昌人・杉恵先生が発展させていった発達的な見方、発達理論の難しかったこと。可逆操作?対称性理論?子どもの現実と本当にマッチしているのだろうか…そんな疑問から机上で学問的に深めるよりは、ともかく現場に出て子どもたちの生活や遊びの実際を見たい、その中で深めていこうと単純に考えた私は、学生時代に見学実習で通っていた大津市の乳幼児健診に携わる仕事に飛び込みました。

                  思い切って飛び込んではみたものの、現実には、日々の相談・記録をこなし、溺れないようにするのが精一杯という状態で、今日に至っています。発達相談員として駆け出しだった頃、その日発達相談したケースをどう見たのか、対応の仕方について、いわば“まな板の上の鯉”状態で臨んだ、発達相談員の諸先輩方や保健師さんとの毎夕のカンファレンスによって培われた見方とその後の経験によって、職人としてはそれなりに仕事をしていますが、「現場に出ても研究を」、それは「仕事をしている地域(自治体)への責任を全うするだけでなく、日本のどの地域に生まれ育っても、等しく人間として尊重される社会になるために(発達相談員として)必要なことなのです」と送り出してくれた恩師のことばに応えるものでは到底ありません。なぜかお盆の頃になり終戦記念日が近づくと、平和の大切さとともに、恩師のことばが思い出されます。

                  現場に出てみて

                  ただ、現場に出てみてわかった(ような気がする)ことが三つあります。一つ目はよくわからないことも少なからずありますが、子どもを発達可能態、同じ仲間として捉える発達観・人間観で関わると子どもと出会うのが楽しくなり仕事がおもしろくなったということです。誰しも何らかのフレームワークを持って発達に関わる仕事に臨んでおられると思いますが、自分に合った見方だったのだろうと思います。二つ目は、療育の現場に異動して毎日通ってくる子どもたちと関わるようになって実感したことですが、映画でも提起されていた発達理論は障害がある子どもたちと毎日の生活をともにする中でつくり上げられてきた理論であるということ、中でも発達の原動力を捉える視点は、長い時間をかけて発達していくお子さんの療育・保育を考える際、何を軸に実践を展開するかを保育士さんたちと検討する上で非常に有効な視点だということです。とは言え、現場の保育士さんたちは、実践的直観と伝え合いによって、人を信頼し自分から人を求めていく力が子どもの発達にとって大切ということに揺るぎない確信を持っていて、そうした現場の実践に啓発されて、改めて発達の原動力の意味を学んだと言った方が正確かもしれません。その実践のもと子どもたちが生きいきと変わっていく姿を目の当たりにしてきました。

                  三つ目は、子どもにとってわくわくする毎日の楽しい遊びや生活が生きる力になるということです。2,000年にやまびこ園・教室が新築移転する際に、それまで週3日だった療育日数が週5日に増え毎日登園が実現され、医療的ケアを必要とする重度障害のお子さんにも毎日登園を保障できるようになりましたが、2,000年以降は、在園期間中の園児の(病気や障害に起因する)死亡がなくなったとのこと。子どもにとって安心できる家庭や医療に加え、毎日の楽しい療育や保育・教育、先生や仲間の存在が命を輝かす、そのことを実感する事実です。

                  今考えていること

                  そして、今自分自身の課題と感じているのは、医療的ケアを必要とし重度障害があるお子さんの発達をどう捉えるのかということ−発達をどう捉えるかその根源に関わる課題−と、知的遅れは顕著ではないが発達的に凸凹があり発達支援を必要とする(就学以降は通常学級で過ごし特別支援を要する)お子さん(以下、要発達支援児)に対し、本人の持ち味や発達特性に丁寧に配慮しつつも、さまざまな能力を使いこなして生きる主体、子どもの自分づくりに、自分たちのしていることが収斂していくのか−障害・発達特性と発達の統一的把握に関わる課題−ということです。大津市では10年前の2006年から2,3歳の要発達支援児に対し、市独自の発達支援療育事業を開始し、児童発達支援事業と同等の質での療育を提供しています(詳しくは拙書、瓜生淑子・西原睦子編,2016,『発達障害児の発達支援と子育て支援』,かもがわ出版 をご覧ください)。初期の卒園児のお子さんたちが中学生になるなど思春期を迎え始め、溺れていた者が藁をもすがる思いで、研究者の先生方に協力を依頼し、対象児を拡大した療育の取り組みを検証・検討しているところです。

                  残念ながら大津市は施策化が中途半端になりやすい人口規模(最適な規模は7万人以下とのこと)であるため、折角できた市の子ども発達相談センターも中学生までと、理想はあっても現実は行きつ戻りつで、県内の他の市町に比べ十分に行き届いた発達支援システムがつくられているとは言えません。そんな時に、励みになるのが、仕事の原点となった『夜明け前の子どもたち』と県内の他の市町のがんばりです。是非、重度障害を持つお子さんの発達診断・発達相談に関わっての交流や、それぞれの市町の発達支援システムが子どもたちの育ちやその保護者の子育て、保育・教育実践にとってどうなのか振り返りわかったことの交流を、現場の先生、学校の先生、研究者の先生方など臨床発達心理士会の会員の皆様とできればと思っています。

                  今後ともよろしくお願いいたします。

                   

                  2016815日 終戦記念の日に

                   

                  大津市立やまびこ園・教室 発達相談員  西原 睦子

                   

                   

                  | 会員エッセイ | 15:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  こんにちは、鈴木則夫です。
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                    まずは自己紹介。

                     滋賀支部研修担当の鈴木則夫です。滋賀県の心理判定員で、県立成人病センター老年内科と中央子ども家庭相談センター(児相)を兼務しています。臨床発達心理士(CDP)以外に言語聴覚士(ST)という資格を持っていますが、どちらの資格もあまり意識したことがありません。子どもから老人までヒトの認知機能を診る仕事をしています。成人病センターでは認知症および疑い患者さんの疾患診断のための認知機能評価を、児相では主に療育手帳の判定業務をしています。

                     

                    余談ですが、、。

                     私にとっては、“PDD”の意味が曜日によって変わります。児相に行っている火曜日には『広汎性発達障害( Pervasive Developmental Disorder)』、月、水、木、金曜日は『認知症を伴ったパーキンソン病(Parkinson Disease with Dementia)』。なんか、ややこしい人生を送ってますが、私のなかでは、子どもから大人、老人とすべてつながっているのですよ。

                     

                    目指すは“生涯発達神経心理学”

                     表題は私の造語です。ご存知のように生涯発達心理学という分野はありますし、発達神経心理学という分野もあります(我が国はまだまだですが、、)。神経心理学とは損傷脳からヒトの心の構造と機能を知ろうとする学問です。これを発達障害の理解に応用しようとするのが発達神経心理学です。一方で、子どもの心理機能の発達の様相を理解することで、失語症や高次脳機能障害、認知症の理解も深まると信じています。『子どもから大人を、大人から子どもを学ぼう』が私のモットーです。

                     

                    臨床発達心理士、言語聴覚士、臨床心理士の皆さんへのお誘い

                     今、我が国は空前の高齢社会を迎え、認知症800万人時代はもう眼前に迫っています。しかし、認知症を神経心理学的に診ることができる専門家は不足し、というか、減少しています。神経心理ができる神経内科医、神経心理ができる精神科医は絶滅危惧種と当該診療科の指導的立場にある教授たちが口をそろえて言います。他方で、認知機能評価のプロとして医師の良き相棒になる心理系専門職も不足してます。増え続けるのは発達障害も一緒ですが、増え続ける認知症に私たち職種が手上げをしませんか?

                     

                    滋賀支部資格更新研修の宣伝

                     滋賀支部の資格更新研修は、『参加費無料』を堅持し、許される限り他職種にもオープンにして、臨床発達心理士が他の心理関連職に認められ、良好な連携を構築できることを目指しています。今年度も、5月、6月、10月、11月、2月と研修を準備しています。10月の研修は、まさに、学習障害理解のために神経心理学が如何に力を発揮するかをお伝えできると思います。乞うご期待。

                     

                    滋賀県立成人病センター老年内科/

                    中央子ども家庭相談センター(児相)心理判定員

                    臨床発達心理士(CDP)、言語聴覚士(ST)

                     

                     

                    | 会員エッセイ | 05:25 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP