日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
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<< 幸せな社会の実現を目指して | main | はじめまして、滋賀支部の山崎 真義(やまざき まさよし)です。 >>
こんにちは、西原睦子です。
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    自己紹介

    大津市の発達相談員で、就学前の地域療育の場であるやまびこ園・教室に4月から勤務しています。それ以前は市立の東部子ども療育センター、子育て総合支援センターにそれぞれ5年、さらにその前は母子保健分野で乳幼児健診とその後の相談に関わっていました。

    お盆になると思い出すことばを軸に、このブログを書いてみたいと思います。

    発達相談員としての原点

    学生時代、ボランテイアや教育実習で知的障害がある自閉スペクトラム症や脳性麻痺などの障害を持つ小学生と出会い、どう関わっていいのか確信が持てずどこか戸惑いを感じている自分がいました。大学の講義や書物で学んだことと実践がどう結びつくのか、自分に何ができるのかと考える座標もなく思っていました。そんな時に出会ったのが、映画『夜明け前の子どもたち』です。「いい映画だから」と先輩に誘われたから見た、その映画に大きな衝撃を受けました。学生だった私は、当時通常発達を基準にできないことを並べ、それが障害ゆえの特徴とする考え方(類型論)には違和感を持っていました。そうした枠組みで子どもを見たり関わったりしていると、子どもも私もちっとも楽しくなく、むしろお互いの関係がしんどくなっていくように感じていたからです。

    その映画の中では、どんなに障害が重くても発達の可能性がある、障害の重い人は長い時間をかけて「〜に挑戦している」人達と捉える人間観・発達観が提示されていました。障害がある・ない、相談する人・される人という立場を超えて「〜に挑戦している」同じ仲間なんだと思え、何かから解放されたような、目の前の靄がさっと晴れたような気持ちになりました。今思えば、立場が換われば自分が見ている見方で相手から見られるということになる、そんな見方を子どもはしてほしいのだろうかとの素朴な思いと、そう思った時に、自分の中にもできないことに注目しやすい能力主義が厳然としてあること、自分自身もそのことに苦しめられていることを自覚せざるを得ず、そのことにたじろぎ、狭隘な自分の見方や人間観を何とかしたいと、青年期に入ったところで葛藤していたためかもしれません。『夜明け前の子どもたち』はそこを抜け出す羅針盤のように思えたのでした。

    いざ発達相談員に

    ところが、そこから田中昌人・杉恵先生が発展させていった発達的な見方、発達理論の難しかったこと。可逆操作?対称性理論?子どもの現実と本当にマッチしているのだろうか…そんな疑問から机上で学問的に深めるよりは、ともかく現場に出て子どもたちの生活や遊びの実際を見たい、その中で深めていこうと単純に考えた私は、学生時代に見学実習で通っていた大津市の乳幼児健診に携わる仕事に飛び込みました。

    思い切って飛び込んではみたものの、現実には、日々の相談・記録をこなし、溺れないようにするのが精一杯という状態で、今日に至っています。発達相談員として駆け出しだった頃、その日発達相談したケースをどう見たのか、対応の仕方について、いわば“まな板の上の鯉”状態で臨んだ、発達相談員の諸先輩方や保健師さんとの毎夕のカンファレンスによって培われた見方とその後の経験によって、職人としてはそれなりに仕事をしていますが、「現場に出ても研究を」、それは「仕事をしている地域(自治体)への責任を全うするだけでなく、日本のどの地域に生まれ育っても、等しく人間として尊重される社会になるために(発達相談員として)必要なことなのです」と送り出してくれた恩師のことばに応えるものでは到底ありません。なぜかお盆の頃になり終戦記念日が近づくと、平和の大切さとともに、恩師のことばが思い出されます。

    現場に出てみて

    ただ、現場に出てみてわかった(ような気がする)ことが三つあります。一つ目はよくわからないことも少なからずありますが、子どもを発達可能態、同じ仲間として捉える発達観・人間観で関わると子どもと出会うのが楽しくなり仕事がおもしろくなったということです。誰しも何らかのフレームワークを持って発達に関わる仕事に臨んでおられると思いますが、自分に合った見方だったのだろうと思います。二つ目は、療育の現場に異動して毎日通ってくる子どもたちと関わるようになって実感したことですが、映画でも提起されていた発達理論は障害がある子どもたちと毎日の生活をともにする中でつくり上げられてきた理論であるということ、中でも発達の原動力を捉える視点は、長い時間をかけて発達していくお子さんの療育・保育を考える際、何を軸に実践を展開するかを保育士さんたちと検討する上で非常に有効な視点だということです。とは言え、現場の保育士さんたちは、実践的直観と伝え合いによって、人を信頼し自分から人を求めていく力が子どもの発達にとって大切ということに揺るぎない確信を持っていて、そうした現場の実践に啓発されて、改めて発達の原動力の意味を学んだと言った方が正確かもしれません。その実践のもと子どもたちが生きいきと変わっていく姿を目の当たりにしてきました。

    三つ目は、子どもにとってわくわくする毎日の楽しい遊びや生活が生きる力になるということです。2,000年にやまびこ園・教室が新築移転する際に、それまで週3日だった療育日数が週5日に増え毎日登園が実現され、医療的ケアを必要とする重度障害のお子さんにも毎日登園を保障できるようになりましたが、2,000年以降は、在園期間中の園児の(病気や障害に起因する)死亡がなくなったとのこと。子どもにとって安心できる家庭や医療に加え、毎日の楽しい療育や保育・教育、先生や仲間の存在が命を輝かす、そのことを実感する事実です。

    今考えていること

    そして、今自分自身の課題と感じているのは、医療的ケアを必要とし重度障害があるお子さんの発達をどう捉えるのかということ−発達をどう捉えるかその根源に関わる課題−と、知的遅れは顕著ではないが発達的に凸凹があり発達支援を必要とする(就学以降は通常学級で過ごし特別支援を要する)お子さん(以下、要発達支援児)に対し、本人の持ち味や発達特性に丁寧に配慮しつつも、さまざまな能力を使いこなして生きる主体、子どもの自分づくりに、自分たちのしていることが収斂していくのか−障害・発達特性と発達の統一的把握に関わる課題−ということです。大津市では10年前の2006年から2,3歳の要発達支援児に対し、市独自の発達支援療育事業を開始し、児童発達支援事業と同等の質での療育を提供しています(詳しくは拙書、瓜生淑子・西原睦子編,2016,『発達障害児の発達支援と子育て支援』,かもがわ出版 をご覧ください)。初期の卒園児のお子さんたちが中学生になるなど思春期を迎え始め、溺れていた者が藁をもすがる思いで、研究者の先生方に協力を依頼し、対象児を拡大した療育の取り組みを検証・検討しているところです。

    残念ながら大津市は施策化が中途半端になりやすい人口規模(最適な規模は7万人以下とのこと)であるため、折角できた市の子ども発達相談センターも中学生までと、理想はあっても現実は行きつ戻りつで、県内の他の市町に比べ十分に行き届いた発達支援システムがつくられているとは言えません。そんな時に、励みになるのが、仕事の原点となった『夜明け前の子どもたち』と県内の他の市町のがんばりです。是非、重度障害を持つお子さんの発達診断・発達相談に関わっての交流や、それぞれの市町の発達支援システムが子どもたちの育ちやその保護者の子育て、保育・教育実践にとってどうなのか振り返りわかったことの交流を、現場の先生、学校の先生、研究者の先生方など臨床発達心理士会の会員の皆様とできればと思っています。

    今後ともよろしくお願いいたします。

     

    2016815日 終戦記念の日に

     

    大津市立やまびこ園・教室 発達相談員  西原 睦子

     

     

    | 会員エッセイ | 15:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
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