日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
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合掌のこころ −その1−
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                                 辻 敬

          (真宗木辺派本山錦織寺 参務・式務部長/真宗木辺派 善明寺 副住職

                                 臨床発達心理士)
     

      2015年3月に、36年の養護学校での教員生活を終えたのですが、その年から、始まったことと始めたことがありました。

     

      一つは、お寺のことは父に任せきり(というより、お手伝い程度の意識でしたから)でこれまでほとんど上山することのなかった本山に、お誘いを受けて寄せていただくことになったことです。内局といって、宗務の運営を行う部局(内局)に最低月に3日、ちょこっと…ということだったのですが、その実段々と…ズルズルと…と、まあよくあることですね。考えてみれば士会のことも…。「求めることよりも、求められることを」というのも大切なことかもしれませんね。

     

      もう一つは、自坊で「寺子屋」を始めたことです。一般には「日曜学校」というのでが、土曜日にすることにしましたし、学校というのもなあということで。

      最近は、以前に比べてお寺にお参りされる方も減ってきていて、「お寺は、年をとってからつきあうものだ」「家のだれかが代表して行けばいい」というような雰囲気も感じられます。お寺自体も昔と違って開放的な感じではなくなっていて、特に、子どもたちが境内で遊ぶということも見られなくなっています。20年ほど前にみなさんのお力で本堂を新築していただいたのですが、逆に、「かしこうしてへんし、子どもはお寺に行ったらあかん」というようなところも感じられます。

      そこで、子どもたちに来てもらって、のちのちに、「子どもの頃お寺に遊びに行ってたな」といった思い出の一つにでもなればという思いでした。もちろん、まだきれいな今のうちにもっといろんな形で本堂を活用してもらいたいということもありました。

     「幼稚園から小学校」を対象にすると、門徒数20数軒で該当者は8名でした。少子化ですねえ。そのうちの7名で、夏休みからスタートとしました。このごろの子どもたちは大変です。「塾だ、スポーツ少年団だ」と毎日忙しくて、休みなしです(親の方も)。特に、4年生ぐらいになると、スポーツ少年団の方へとなります。そんなこともあって、今は3名となっています。

     原則的に、毎月1回第2土曜日、夏休みは原則金曜日に行っています。一応、9時半〜12時です。内容は、お焼香から始めて、お勤め(正信偈か偈文-2、3分の短いお勤め-、仏教讃歌)−勉強(宿題)−遊び−お楽しみ(調理、お菓子作り、季節の野菜などを収穫してそれを使っての…<食育>:順序は状況でかわります)です。

     はじめの頃は、お数珠の持ち方も、手のあわせ方もわからないようで、お数珠も経本も、すぐに畳の上へでした。特にお勤めの時は、すぐに立ち歩いたり寝転んだりと、ガチャガチャしていました。そのうち、3・4年生を中心にまとまりを見せてくるのですが、まあ、なかなか大変です。養護学校の子どもたちの方がよほど“かしこい”と思います。

     みんなおじいちゃんおばあちゃんがいるのですが、別棟で暮らしているということもあるのか、仏事に関することはあまり見知っていないようです。ましてや、一緒にお内仏にお参りするというのもままならないのでしょうね。ですから、「こうこうやからこうするんや」という話はもちろんのこと、「形の上での“相続(伝えていくこと)”」もできていないのだろなあと思います。

     

     そんなガチャガチャの状況の中で…、2年生の男の子のことです。友だちとやんちゃするのが目立っていて、お勤めの時も落ち着きなくうろうろしがちだったのですが、寺子屋を始めて1年もたたないくらいのときに、ひいばあちゃんが亡くなりました。その中陰中に、お勤めの席に顔を出して、みんなに経本を配ったりしていました。さらに、正信偈をお勤めする声もしっかり聞こえきて、お寺で見せていた様子とは違った姿で、「あれっ?」と同時に「へえー、すごいなあ」と感心しました。「寺子屋のおかげ」と言っていただいたのですが…、苦笑いでした。あまり伝わっていないように思えて、実はそれなりに…ということですか。

     「わかる、わからない」で考えずに、仏事も含めて、何でも一緒にするということは大切なことですね。それと、小さいときから、何かしら畏敬の念を抱くものを感じることは、<情操>という意味でも、大切なことではないかと思います。

     

     もう一人、始めたころは年長さんだった2年生の女の子のことです。正信偈は勤められる(読める)ようになってきているのですが、お焼香の時は、照れがあるのか、合掌も礼拝も、いつもチャラけてしまいます。ですが、最近、ふとした時に、まじめに(?)手を合わせている姿を見せてくれました。「右仏 左我とぞ 合わす手の 声ぞゆかしき 南無のひと声」という歌(御詠歌)がありますが、その時は、まさに、その「ゆかしい」「心がひかれる」ような思いを持ちました。(つづく)

     

     

    | 会員エッセイ | 08:30 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
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