日本臨床発達心理士会滋賀支部

このブログは、日本臨床発達心理士会滋賀支部会員相互、
地域の皆さんとの交流をめざしています。
CALENDAR
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< スクールソーシャルワーカー(SSW)として人と出会う | main |
この地で育つ喜びをすべての子どもに
0

     外国人労働者の受け入れがこの4月から拡大された。出入国管理および難民認定法(入管法)改定で、技能実習などに限られていた単純労働への就労者の枠が広がった。2018年10月の統計で外国人労働者数は146万人と過去最高となったが、今後も増えるだろう。

     遡ること1990年、やはり入管法で外国人の在留資格が改定され、主にブラジルやペルーなど南米からの日系人が労働者として日本に渡ってきた。私は1985年春から約1年間ブラジルに居たこともあり、懐かしさと同時に「世代を越えての帰国」に複雑な思いももった。日系人は当初単身での来日だったが、次第に家族を呼び寄せあるいは家族をつくり定住化へと進んだ。そして子どもは日本で暮らすこととなった。日系人、日本に住んでいるとはいえ、すでに母語はブラジルポルトガル語やスペイン語、文化・習慣が違うのは当たり前で、子どもたちは数々の苦労と苦悩の中で成長することになる。

     

     10年ほど前のこと、ブラジル人の女の子Hちゃんは、父親が仕事を失ったため通っていたブラジル人学校をやめ、地域の幼稚園に入園した。しばらくして父親は働くようになったが、同時に幼稚園への送り迎えができなくなった。そこで当時私が勤めていた多文化保育をかかげる認可外保育施設で、幼稚園が始まるまでの時間と幼稚園への送迎、幼稚園が終わってから親が帰宅するまでをサポートした。それまでの幼稚園での様子はというと、「友だちと遊べない、先生の指示をきかない、いさかいを起こす、じっとしていられない」など、先生を困らせる存在だった。ところが、私たちがかかわるようになってその姿に変化がみられるようになった。ブラジル人スタッフが、幼稚園に送って行った時にHちゃんにその日の予定を話す、迎えに行った時にその日の出来事を聞く、フォローが必要なら本人にも先生にも保護者にも伝える、それに加えて日本語も教える。そうしているうちに、幼稚園ですること、先生に指示されていることがわかるようになった。自分も伝えることができるようになり、1年後には日本人のお友だちとともに笑顔で卒園を迎えた。

     Mちゃんは4才、日本語でも簡単な会話ができた。ママも生活に困らない程度の日本語会話力だった。日本の家庭なら、赤ちゃんが生まれて成長するにしたがって、適した絵本・本を与える。しかし、日本で暮らす外国人家庭の場合、日本語を話せたとしても読めないことが多く、日本語の絵本を読み聞かせることは難しい。母国の絵本も手に入りにくい。そこで、ブラジルポルトガル語の訳をつけた絵本を貸し出した。それを見たMちゃんは「ママよかったね。これでいっしょに絵本が読めるね」とママに笑顔で言った。親子で絵本を楽しんでもらうことを意図した取り組みだったが、現実にそのシーンを目のあたりにすると涙がでるほどの衝撃だった。絵本は、親子の絆、会話、共通の楽しみ、文字へのいざない、ことばの確認、価値観の共有などいろいろな働きがある。そんな機会が乏しいのは、残念で仕方がない。

     両親あるいは一方の親が外国語を母語とする場合、2か国以上の言語、つまりは複数言語の環境の中で子どもは成長する。それぞれの言語がうまく習得していけるとよいのだが、そうばかりとは限らない。話せるが書けない、話せるが学習にはついていけないということはよくある。

     

     ある保育園で日本語の語彙・文法などの調査をした結果、1歳児から5歳児までのどの年齢においても日本人と複数言語で育つ子どもの日本語力には差がみられた。小学校に入り学習が進んでいく中で、差を詰めるのが容易でない。本人の資質や努力を頼みにするのではなく、システマティックにかつ愛情あるサポートが必要だ。

     昨今、多文化・複数言語の環境の中で育ちながら、全国区であるいは国際的に活躍するスポーツ選手、タレントの話題には事欠かない。本当に誇らしいと思う。最初に挙げたように、他国からこの国に働きに来てくれている無名の人が百数十万、外国をルーツに持つ人々はおそらく何百万人といる。日本に来てよかった、日本で育って幸せだったといわれるために、社会は、私は何ができるだろうか? 還暦まで後数年の身で考えている。

     

    鈴木祥子(しが多文化保育研究会)

    | - | 09:51 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    コメント
    コメントする